『熱帯』
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熱帯 森見登美彦著
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
◆深まる謎 想像の翼を広げて
ある夏、次にどんな小説を書くべきかわからなくなった森見登美彦氏は「アラビアン・ナイト」の名でも知られる古典『千一夜物語』を読む。いくつもの顔がある謎の本『千一夜物語』を呼び水にして、登美彦氏は学生時代に遭遇した『熱帯』という小説のことを思いだす。神出鬼没で最後まで読んだ人間はひとりもいないという不思議な本をめぐる冒険譚(たん)だ。
本書は五章構成。第一章「沈黙読書会」では登美彦氏が作品のヒントを求めて読書会に参加する。会場である喫茶店の店主が<俺たちは本というものを解釈するだろ? それは本に対して俺たちが意味を与える、ということだ。(中略)でも逆のパターンも考えられるでしょう。本というものが俺たちの人生の外側、一段高いところにあって、本が俺たちに意味を与えてくれるというパターンだよ>と言うくだりが興味深い。小説が書けないことに懊悩(おうのう)する登美彦氏、幻の本『熱帯』を探す池内氏、そして『熱帯』の作者の佐山尚一……。登場人物がみんな本に意味を与えられて生きているのだ。なおかつ各々(おのおの)が異なる『熱帯』を語り、語られた話が入れ子状になっている。
どれがメインストーリーなのか見失ってもかまわない。ただ本のなかにある世界をうろうろする時間が愉(たの)しい小説だから。例えば第三章「満月の魔女」。『熱帯』の手がかりを追って京都を訪れた池内氏は、古道具屋で佐山尚一に会ったことがある女性の話を聞く。佐山は少女時代の彼女が遊んでいた達磨(だるま)を手にとって、ぷりぷりと変な動きをしながら<吾輩(わがはい)は達磨君である>としゃべらせてみせたという。語りの魔法に目を輝かせる子供の姿が思い浮かぶ。その達磨君を彷彿(ほうふつ)とさせるキャラクターが後半に出てくるところもうれしい。
佐山の素性がつかめても『熱帯』の謎は深まるばかりだが、森見登美彦らしい古い物や古い作品に対する愛着が予測もつかない方向へ想像の翼を広げていく。人間を囚(とら)えてやまない物語そのものの魅力に圧倒される。
(文芸春秋・1836円)
1979年生まれ。作家。著書『夜は短し歩けよ乙女』『有頂天家族』など。
◆もう1冊
森見登美彦著『夜行』(小学館)。2016年下半期の直木賞候補作。