『海苔と卵と朝めし』
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海苔(のり)と卵と朝めし 向田邦子著
[レビュアー] 美村里江(女優、エッセイスト)
◆食の風景を貫くドラマ的目線
「なんで今までなかったのか」というほど向田邦子さんらしい一冊。ご存命中の出版冊数と比較し、関連本だけでも十倍以上出版されているが、それらを跨(また)ぎ越えて新しさを感じさせるファン待望の食べ物随筆集(+小説)だ。
拝読済みの名文群だが、まとめ直されたものを読むと、ますます面白さを痛感する。圧倒的な記憶力で、昭和十年代の中流家庭のお八つの数々を記し、茶色の味醂(みりん)干し、海苔巻きの端っこに、妹と開いた料理屋「ままや」のこと…。旅先でも新しい味を分析し、のみくだしていく。
文章のカメラワークとでもいうのだろうか。ありがちな食事中の人物のバストアップ写真などではなく、食べ物がしっかりと中心に据わっている。まずは引きの画(え)で食事の場の雰囲気を捉える。幼少期の気取らない家族の食事、初めて訪れた土地での期待の逸品。どんな時代に、どんな空気を吸いながら、それが食されたか…。これをきっちりと描くので深く興味が湧く。
その上に、食材の緻密(ちみつ)な描写が続き、その湯気にくしゃみさえ出そうになる。大げさでなく端的なのに、鼻先にその一皿を差し出されたような見事な臨場感に、読者のお腹(なか)もぐうと鳴る。
つまり「場面設定」と「人物の目線」がはっきりとある。脚本家としての本分を備えているから、向田さんの食随筆は面白いのだ。加えて言うなら、長回しの映画的ではなく、気の利いた切り替えでリズミカルに編集されたテレビドラマ的脚本目線である。年を追う毎(ごと)に私が向田エッセイを好きになる理由は、役者として私の主戦場がテレビドラマであるからに違いない。
そう自覚しながら毎回驚愕(きょうがく)せずにいられないのは、これらが書かれたのがすべて自分の生まれる前であることだ。文章の先進性を何度も仰ぎ見ては、純粋な向田新作を読めないことだけが、切ない。
「海苔と卵と朝めし」を掲げつつ梅干しらしき赤丸もポンと置かれた洒落(しゃれ)た表紙。そこから海苔の如(ごと)き黒紙を捲(まく)り、向田さんの食いしん坊世界を、どうぞ召し上がれ。
(河出書房新社・1782円)
1929~81年。脚本家、作家。著書『父の詫び状』『眠る盃(さかずき)』『あ・うん』など。
◆もう1冊
向田邦子著『お茶をどうぞ 向田邦子対談集』(河出文庫)