新しいかたちの結婚――中江有里『残りものには、過去がある』

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残りものには、過去がある

『残りものには、過去がある』

著者
中江, 有里, 1973-
出版社
新潮社
ISBN
9784103522119
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

新しいかたちの結婚

[レビュアー] 神谷達生(ライター/プロデューサー)

 今やすっかり人口に膾炙した「格差婚」や「年の差婚」という造語。使う人の意識の有無に拘らず、これらの言葉には、「~があるのに結婚した」という「障壁」が内包されている。そして、それらを「乗り越えて」結ばれるに至った二人にたいして周囲は、劇的な馴れ初めを期待することもあれば、逆に、邪推を含んだ好奇の目を向けることもある。何がその「差」を埋めたのか? と。そんな凝り固まった結婚観に揺さぶりをかけるのが、『残りものには、過去がある』だ。

 まだ肌寒い春の日、一組の男女が老舗ホテルで行う結婚式と披露宴。その日の主役たちを含む関係者六名の視点で儀式は進行していく。新郎は、四十七歳の伊勢田友之。カバによく似た容姿の持ち主は、有名私大を卒業後、銀行勤めを経て、父から、小規模ながらも優良な企業を継いだ二代目社長である。一方、シンプルなウエディングドレスに身を包み、妖精のような輝きを放つ鈴本早紀は、長野市生まれの二十九歳。両親を交通事故で亡くしたことで大学を中退、飲食店で働いたのち放送大学を卒業し、友之の会社で契約社員として勤務している。経歴も見た目も「釣り合わない」組み合わせ。

「釣り合わない」のは、招待客の人数のバランスも、だ。物語は、その差を埋めるために派遣された新婦の「レンタル友だち」の目線からはじまる。妊活費用を賄うためにこの種の仕事を請け負っている栄子はこの日、「友人」代表として祝辞を述べることになっているが、彼女自身は、夫へのわだかまりを抱え、自分の結婚が間違っていたかもしれないとさえ思っている。そして、新郎新婦に心のなかでこう問いかける。

〈あなたたちは、互いに望んで結婚したのですか?〉

〈それとも何かを交換し合ったのですか?〉

 式の前年、偶然新郎と再会した学生時代の友人池田洋介は、五年前に妻から三行半を突きつけられ、結婚に懲りている。妻は池田と離婚した半年後に別の男と再婚し、その一年後に出産したという。彼は、友之が結婚するのはどんな女性なのか値踏みするために興味本位で参列を決めた。

〈金か、やっぱり〉

 栄子と池田と同じテーブルに席を用意された新婦の従姉妹・貴子も複雑だ。彼女は、自らが遠因となった事故で早紀の両親が亡くなったという現実から目を背け、自宅に引きこもっていた。そして、強制されたこの結婚式への出席を、自分に与えられた罰だと受け止めている。

 この三人は、自身の状況から言っても、新郎新婦との関係から言っても、必ずしもこの結婚を素直に祝福できるような立場にはないはずだった。

 けれども、変化は訪れる。

〈人を妬んだり憎んだりはするけど、あらためて祝福することって滅多にないよね。(中略)だからたまには人の幸せを祈りたくなるのかもしれない。たぶん自分を浄化するために、人の幸せを祈っているんだよ。その儀式が結婚式なのかもね〉

 早紀が語ったとおり、栄子は、結婚への不安をこらえているように見える新婦にかつての自分を重ね、スピーチに切実な願いを込めた。そのスピーチに涙した新婦をいたわる友之の真剣な表情に、池田は心を動かされる。貴子は、新郎からかけられた言葉によって、早紀とのかけがえのない関係を噛みしめた。祝福の磁場は、会場の外にも広がる。かつて、友之が愛した女性、式には招待されていない美月が遠くから祈るのは、二人の明るい未来だ。もちろん、この四人の気持ちを生み出したのは、結婚式という「儀式」の力だけではない。

 当人たちの口から、二人の交わした秘密の約束が、読者だけに明かされる。当然、栄子や池田が当初疑ったような打算や取引はない。また、二人は激しく愛し合ったわけでもなかった。むしろ、「愛」はないのかもしれない。それでも。

〈これまで起きたさまざまなことが、彼女と出会うまでの必然だとするなら受け入れられる……そんな気持ちになりました〉

 お互いの過去をさらけ出し、受け入れ合った二人の結婚には、秘密はあっても欺瞞はないし、「差」はあっても偏りはない。そんな夫婦の姿に光を見出したからこそ、参列者たちは、その幸福を心から祈ったのだ。新しいかたちの結婚。式の一部始終を目撃することになる読者もまたきっと、二人を祝福しないではいられないだろう。

新潮社 波
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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