脳は不完全だから可愛い――池谷裕二・中村うさぎ『脳はみんな病んでいる』

レビュー

6
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脳はみんな病んでいる

『脳はみんな病んでいる』

著者
池谷 裕二 [著]/中村 うさぎ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103331827
発売日
2019/01/31
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

脳は不完全だから可愛い

[レビュアー] 星野概念(精神科医・音楽家)

 本書は、脳研究者の池谷裕二先生と作家の中村うさぎさんの対談です。前書『脳はこんなに悩ましい』で自らのDNAを調べ、究極の自分探しをしたお二人。その後池谷先生は「健康とは何か」「正常とは何か」という問いに直面したそうです。中村さんが心肺停止にまで至る難病を発症されたことをきっかけに、再びお二人はお話しされることとなりました。

 話題は前書と同じくとても多彩。僕がまず面白いと感じたのは、脳は断片的な情報を与えられると、そこから辻褄の合いそうなストーリーを自然と推論する「身勝手なストーリーテラー」だという話。精神科医の自分が普段臨床で「症状」と捉えている幻覚も、実は脳のそんな特性が関係した事象だということに驚きました。「症状」と捉えることは「異常」と捉えること。幻覚で言えば、「正常」な我々からするとありえない「異常」な感覚世界だと考えることを意味します。でもこれが、「断片的な情報がきっかけの脳の問わず語り」と言われると、誰にでも起こりそうです。僕は今後、患者さんの幻覚を「症状」と捉えず「そんなこともあるよね」と考えるようになる気がします。診断は今よりさらに迷走するでしょう。でも、誰にでも起こりうる事象を「異常」だなんて乱暴に決められない。現に、池谷先生は夢のことを「睡眠中の幻視」と言いますが、夢って誰でも見ますよね。

 また、このような脳の特性は、「見る」という事象にも関係します。我々はこんなに色々なものが見える気がするのに、目からの情報ってただの電気パルスだそう。その信号に、脳がこれまでの経験などに基づく情報を補完し、解釈した形が「見る」という事象だそうです。つまり、実はほとんど見えてはいない……。だから池谷先生は、「見る」とは「信じる」に近い行為だと言います。

 それから人工知能に関連した思考実験も面白かった。人工知能という「器」を開発者が用意し、様々な情報を与えられて自ら学習しますが、その学習の演算原理は誰も理解できません。これはつまり、人間には「知能」が理解できないということです。仮に、発達した人工知能が「知能」の仕組みを説明してくれたとしても、その説明自体が難しすぎて人間の脳のレベルでは理解できないだろうというのです。そして、こういう「わからない」状態になった時人間は、身近な「わかる」範囲のものに喩えて「わかった気」になるそうです。中村さんは、「わかったような気になる」ってものすごい落とし穴かもしれないと言いますが、僕もそう思います。

 他にも、記憶がないと未来も過去も存在しないので「時間」という事象は脳の幻覚みたいなものとか、「第六感」という事象が生じる理由とか。存在が当たり前すぎる「事象」が、どのようにして「事象」になるのか、池谷先生が最新の科学的知見をもとに明らかにしていきます。そして、中村さんとの掛け合いがまた絶妙。中村さんはこちらが聞いてほしいことをスパッと挟んだり、池谷先生とは違う視点で話を展開したりして、池谷先生の説明がさらに噛み砕かれます。

 本書を読み進めるうち、脳には個性があり、限界があり、誤りがある気になります。池谷先生は、そんな脳で考えるしか能がないところが人間の可愛さでもあると言います。そう、人間は個性的で限界があって間違える。そんな人間が考える「正常」、「異常」とか「健常」、「障害」など、境界を生む言葉の内実って実はとても曖昧です。よく考えても、社会的に多数か否かという違い以外はよく分かりません。

 また、我々には「わからない」ことが無数にあります。でも簡単に「わかった気」にならずに、「わかろうとする」と、「わからない」ことは「少しだけわかりそう」なことに変わります。本書はその面白さをたくさん教えてくれます。著者達が自ら自閉スペクトラム症の診断を聞きにいくことはその究極形かもしれません。診断名の内実が明らかになるにつれ、自分と多く重なる部分や違う部分があることも分かり、理解が拡がりました。中村さんも対談で様々な未知の視点や世界に触れ、「理解しがたい世界」が「理解可能な世界」に変貌したと言います。

 そして、はじめは正直「ん?」と思った『脳はみんな病んでいる』という題名。読了後には、中村さんとの対談ということも相まってか、脳の不完全さと可愛さを、愛着を持ちつつ自虐的に表現したうまい題名に思えました。あぁ、面白かった。

新潮社 波
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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