死にかけた世界を歩く

レビュー

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アメリカ死にかけ物語

『アメリカ死にかけ物語』

著者
リン・ディン [著]/小澤 身和子 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784309227511
発売日
2018/10/29
価格
3,456円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

死にかけた世界を歩く

[レビュアー] 磯部涼(音楽ライター)

「まずは飲み屋に行きましょう」。開口一番にリン・ディンは言った。一五〇万人都市・川崎市の玄関口である川崎駅改札前は、平日の昼間にもかかわらずごった返している。彼と親しい仲介者が送ってくれたメールには、「リンはこんな感じの中肉中背のおじさんです」という愛のあるコメントと共にプロフィール写真が添付されていたものの、待ち合わせ場所で人混みの中から見つけ出すのに手間取ってしまった。一九六三年、ベトナムのサイゴンで生まれ、戦火を逃れるために十一歳でアメリカに渡った後、様々な仕事と並行して詩や小説を書いてきたディンは、二冊目の邦訳書の宣伝ではるばるやってきたこの国の群衆に、それぐらい溶け込んでいたのだ。そして、今日はどんなところに行きたいですか? と訊くと、彼は親しみやすい笑顔で、冒頭の─観光客というよりは地元民のような言葉を口にした。

 リン・ディンの著作『アメリカ死にかけ物語』は、ブログ「Postcards from the End of [the] America[n Empire]」に掲載された、二〇一三年から二〇一五年にかけての旅行記、二十二本をまとめたものだ。その中で彼が訪れるのは、執筆時に住んでいたペンシルべニア州の街や、同じ大西洋岸中部のニュージャージー州、ニューヨーク州だけでなく、中西部のイリノイ州、アイオワ州、ミズーリ州、ノースダコタ州、北西部のオレゴン州、ワシントン州、ワイオミング州、南西部のカリフォルニア州と広範囲に亘る。ただ、旅行記と言ってもほとんどの街で観光らしい観光はせず……というか、舞台になっているのは何の変哲もないインナーシティで、多くはゴーストタウン化している。さらに、彼は各々の地に着くと、決まって大衆的なバーへと向かう。そこは言わば吹きだまりであり、だからこそ街の、ひいてはアメリカの、見えないことにされているものを見られる場所であるのだ。

 本書の登場人物─安っぽいバーにたまっていたり、そこにすら入れず路上に佇んでいる人々について、ディンは巻頭の「日本の読者へ」で、“ほとんど可視化されず、声を持たない”が“アメリカの人口の大部分を占めている”、“国家の運営には全く影響力を持たない”人々だと説明している。しかし、「彼らはドナルド・トランプというペテン師に投票するように巧妙に騙され、結果“惨めな人々”と糾弾すらされた」。つまり、本書は“メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン”という言葉を生み出すこととなった─かつては偉大だったものの、今は“死にかけ”ているアメリカを巡る旅なのだ。また、その旅において長距離バスという貧者の交通機関を使うディンも、アメリカの腐った部位の一部である。

 ちなみに、『アメリカ死にかけ物語』には書き下ろしの旅行記「トーキョー・ドリーミング」が収録されているが、そこでは、二〇一八年五月に来日した際、主に都心で受けた印象が綴られている。それ以来となる今回の来日ではインナーシティも歩きたいということで、戦前より続く工場地帯であり、いわゆるドヤ街や風俗街、在日外国人集住地区を擁する川崎区を、同地を舞台にしたノンフィクション作品『ルポ 川崎』の著者が案内することになったわけだ。そして、ディンは、普段、アメリカでやっている通り、まずは大衆酒場に行くべきだと考えた。時間はまだ十三時を回ったところだったが、その点、川崎は心配ない。我々は、「丸大ホール」という朝の八時半からやっている食堂兼居酒屋に向かった。

『アメリカ死にかけ物語』で描かれるのはポスト工業社会であり、そこでは、以前は街の主役だった工場労働者はアウトサイダーになっている。むろん、それは近代化において必然的に起こることで、日本も例外ではない。京浜工業地帯の要として栄えた川崎駅周辺からも次々と工場が撤退し、跡地に〈ラゾーナ川崎〉という巨大なショッピングモールやタワーマンションが建てられたように、街は真新しくつくり変えられている真っ最中だ。一方、駅から少し歩けば、かつては日雇い労働者のための宿泊所として機能していた古い旅館が並んでおり、今やそこは年老い、生活保護を受給する労働者を放り込む場所になっている。また、駅を起点として反対側には、どぶろく横丁という、密造酒が売られていたヤミ市の名残を留める通りがあって、「丸大ホール」はその入り口辺りに位置する。

 ドアを開けると広い店内は既に中高年でいっぱいで、我々は何とか座ることが出来た。同じテーブルはひとり客が多く、皆、黙々とコップを口に運んでいる。「“相席”という制度は独特だ。アメリカのバーのカウンターがコの字型になっているのは会話を楽しむためだけど、日本では向かい合っているのに話さない」。ディンは生ビールのジョッキを呷りながら言う。次に向かった、ソープランドが並び、ちょんの間も現存する堀之内は閑散としていて、筆者は、最近の若者は風俗に興味を持たないという俗説と、全国的な浄化運動により店舗型風俗が衰退、いわゆるデリヘルのような不可視化が進行している現状を説明する。しかし、通り掛かったパチンコ屋は台と一対一で向き合う人々で賑わっており、ディンにとって、「トーキョー・ドリーミング」で描いた、アメリカに去勢されたディストピアという日本のイメージはさらに裏付けられたかもしれない。『アメリカ死にかけ物語』を読んで印象に残るのは、汚れた身体から発せられる体臭に感じるような生命力だが、“ニッポン死にかけ物語”は無味無臭である。

 その後も池上町─京浜工業地帯で働く在日コリアンが、日本人が住まない湿地帯に、無計画に建てたバラックがもとになっている街の、今も細くうねりまるで迷路のようになっている路地を案内しながら、筆者もディンの物語に迷い込んだ気分になった。いつの間にかすっかり陽は落ちていて、歩き疲れた我々は、隣街である桜本の暗いシャッター商店街の中で明かりを灯していた、小さな酒場に入っていった。すると、すっかり酔っ払っている先客たちが実に温かく迎えてくれたのだ。在日コリアンの店主はディンを抱擁して額に口付け、沖縄出身だという老人は、ディンがベトナム出身だと知って身の上話を始めた。

 老人はベトナム戦争の時期に沖縄で、同地の基地を経由して本国に送り返されるアメリカ兵の遺体をホルマリンのプールに浸ける仕事をしていたのだと言う。そのような仕事は都市伝説だとされているが、自家製の辛いキムチをつまみ、ビールを何杯も飲みながら聞く思い出話はとても生々しかった。そして、老人は、他にロシア人、香港人、日本人がいる店内でディンに向かって、「あんたがいちばん日本人に見えるよ、あんたはまたここに飲みに帰ってくるべきだよ」と、ほとんど歯がない口を大きく開け、笑って言った。ディンも、その日、いちばん楽しそうに見えた。死にかけた国で、そこには確かに命が灯っていた。

河出書房新社 文藝
2019年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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