『夜のリフレーン』
- 著者
- 皆川 博子 [著]/日下 三蔵 [編集]
- 出版社
- KADOKAWA
- ジャンル
- 文学/日本文学、小説・物語
- ISBN
- 9784041072264
- 発売日
- 2018/10/26
- 価格
- 2,090円(税込)
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薔薇を贈ろうとすることは
[レビュアー] 本多正一(文筆家、写真家)
皆川博子の名を知ったのはいつのことであったろう。
おそらく現世で面識を得るまでに死者に巨大な薔薇を贈られたのであった、『虚無への供物』の作者に。四半世紀も前、偲ぶ会の晩のことである。紫色の薔薇─花言葉は“尊敬”。旧友の死に京都から駆けつけた哲学者がいたく感じいってエッセイに書き残している。
数年前、筆者が縁を持つことになった画家の回顧展に、またしても巨大な薔薇が届けられた。自衛隊へ乱入し割腹して果てた小説家の遺作や、戦後最大の奇書と騒がれた大作の挿絵で知られた老画家である。美術館の学芸員が“五〇本もの薔薇ですよ”と驚嘆して報せてくれた。画家は九六歳のいまも息災だが、皆川博子との仕事が生涯最後の作品となるだろう。
どういう縁か、さる探偵小説専門誌出身の直木賞を受けた二人の訃報も、筆者が伝えることになった。ほどなく「まさか」と驚いたような返信が届いたが、その人々にも皆川博子は薔薇を手配したのではなかったか。若き日の皆川博子は、暗号で象嵌された暗合小説集『秘文字』の共著者三人へも薔薇を贈ったと伝えられる。
皆川博子のある時期からの作品は、すべて読者へ贈る薔薇と視える。『夜のリフレーン』は花圃の番人・日下三蔵が眼を凝らし鼻を利かせ、一九七〇年代からの単行本未収録作品二四篇で構成される。一見、小品の落ち穂拾いながら、馥郁たる花片を集め、色とりどりの美を散らし、挿画装丁も佳嶋、柳川貴代のしつらえで抑制された芳香を感得させられる。
*
二〇一八年晩秋、ひさかたぶりに皆川さんと再会し、思わず握手を交わした。
皆川さんは美しい銀髪に杖をたずさえ、ひと懐っこく、もう齢で耳が聴こえないのよ、とコケティッシュな色気をひらめかせ小さく笑った。世俗のことは聞き飽き果てたはずだから、年齢を重ねた福音というものであろう。
この日も皆川博子は還暦を迎えた男に掌篇とともに薔薇を贈った。またしても薔薇。花束を渡し「最後、首をとっちゃってごめんなさいねえ」と、ころころと笑った。
皆川博子は大胆にも、とある大作に「物語を必要とするのは、不幸な人間だ」と自らのアリバイを記している。読者への挑戦状と読んで差し支えあるまい。米寿を超え、いまも大作を用意し、ご家族の健康と愛に恵まれ、悠々自適に過ごしながら、その瞳ののぞきこんできた深淵は余人にはうかがい知れぬ。街角ですれ違うばかりなら、上品で元気なふつうのやさしいおばあちゃんとしか映らぬはずなのに。
だが、聴覚の不自由な銀髪の尊老こそもっとも怪しいとはバーナビー・ロス最後の探偵小説の教えるところである。贈られた薔薇を手にした読者の幸福をこそ祈らずにはいられない。