多忙な読者を誘う「自分自身」を考える時間

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影を歩く

『影を歩く』

著者
小池昌代 [著]
出版社
方丈社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784908925412
発売日
2018/11/30
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

多忙な読者を誘う「自分自身」を考える時間

[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)

 人生は歩き回る影法師――とはマクベスの有名な嘆きだが、「影を歩く」という言い回しは耳慣れない。日影を歩くという意味ではない。影は自身の影、ときに鏡より頼もしい自画像だと作者は言う。

 しかし、だとしても「影を踏む」でも「影と歩む」でもなく「影を歩く」とは……。頭を抱え、思わず自分の影を見る。多忙な人は星空を見上げることを忘れていると馬鹿にされるが、実は俯きながら歩いているくせに、自分の影をもよく見てはいない。「忙」と「忘」とはどちらも「心」と「亡」からできている。一歩ごとに形を変える影はあまりにはかなく、しかしそれはつまり自分自身のとりとめのなさであり、「影を歩く」とはその移ろいゆくはかなさを生きることの謂(いい)なのだろうと気づく。

 ここに集められた掌篇群は、いずれもが影のごとく輪郭の定まらないまま揺曳している。小説なのかエッセイなのか詩なのか、リアルな日常の写生かと思いきや、なんの前触れもなく幻想が交錯する。死の影を抱えた男と影について対話したかと思えば、亀とも真面目に会話する。

 それぞれの作品に一つひとつなんらかの結論めいたものを見出そうとしても無駄だろう。そうではなく、一篇を読んだら本を閉じ目を閉じ、ゆっくりと思いを巡らす。そのときには必ず、作品そのものの答えでなく、自分自身、自身の人生に思いが飛ぶだろう。ここにある影たちは、忙しさにかまけて忘れがちな自分自身のことについて、ちょっと時間をとって考えるよう、多忙な読者を誘う。それも、押しつけがましくなくひっそりと。わたしたちはきちんと自分の影を歩いているだろうか。

 寡聞にして出版元の方丈社のことは知らなかった。これまた人生の無常を思わせる社名を持つ小さな出版社が、今後もこうした良書をひっそりと世に送り出しつづけてくれることを願ってやまない。

新潮社 週刊新潮
2019年2月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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