神社のない日本に、我々はどこまでせまれるか

レビュー

5
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社をもたない神々

『社をもたない神々』

著者
神崎 宣武 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
社会科学/民族・風習
ISBN
9784047036246
発売日
2019/01/18
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

神社のない日本に、我々はどこまでせまれるか――【書評】井上章一

[レビュアー] 井上章一(国際日本文化研究センター教授)

 古代ギリシアやローマの神話と、日本の神話には似たところがある。話の骨組みが、たがいにかさなりあうものも、なくはない。たとえば、オルフェウスの冥界訪問譚だが、これなどはイザナギのそれにそっくりである。

 こういう類似性から、古代ギリシアと太古日本の通底性を語る人もいる。たしかに、どちらも多神教的な神々が神話世界をおりなす点で、つうじあう。その神々も、一神教の絶対神とちがい、みな人間くさい。たとえば、恋もするし、嫉妬にもさいなまれる。共通点がないとは、言わない。

 だが、仏教渡来以前の日本に、神をまつるための神殿は存在しなかった。神の社が、社殿がいとなまれるようになるのは、あとになってからである。神への信仰とかかわる人々は、仏教寺院と遭遇し、ようやく神社をたてだした。寺のみごとな伽藍にあこがれてか、あるいは仏教とはりあうために。

 仏教以前の人びとは、自然の光景そのものを神のすまうところだと考えた。山、森、大樹、巨岩などを。自然じたいに神はおわすと、そうとらえてきたのである。

 神に身近なところへおりてきてもらうため、神籬をもうけることはあったろう。依り代となる柱をたてたり、御幣をかざったかもしれない。あるいは、供物でまねこうともしたろうか。しかし、仏教とであうまで、建築物をたてようとはしてこなかった。

 この点は、巨大な神々の神殿を建設した古代の地中海世界と、決定的にちがっている。ギリシアでは、アポロンやアテナをまつる神殿が、もうけられた。ローマにも、ヴェスタの神殿などがのこっている。一神教の影響とは無関係に、神々を建築化したのである。あちらのほうが、はるかに建築的な民族であったということか。

 ただ、現代の日本人は、もう神社という社殿のあるくらしに、なじみきっている。初詣でには、神社へ脚をはこぶ。手をあわせ、鈴をならし、たとえば阪神タイガースの優勝を祈願する。まあ、これは私のことだが、そんな生活が定着しきっている。

 社殿のなかった時代の神観念を、かえりみるのはむずかしい。もう無理なんじゃあないかと、たいていの人は考えよう。私も、困難だと思っている。

 そう判断をするひとつの要因に、考古学の動向をあげておく。このごろの考古学者は、縄文時代や弥生時代の遺跡に、巨大神殿の痕跡を見いだしやすい。棟持柱のある大きな施設の跡が見つかると、神殿の発見と言いたがる。「神殿跡発見、弥生的都市国家の拠点か」、などという新聞報道に、よくでくわす。なお、棟持柱とは壁の外側に独立してたつ、屋根の棟木をささえる柱のことである。

 こういう報道を私は信じない。そんなものは、あるわけがないと考える。ほりおこされた建物が大きければ大きいほど、神殿などではないことを、逆に物語る。時代をさかのぼれば、神をまねく依り代は小さく、また粗末になる。考古学的には見つけえないとみなしてきた。

 だが、最近の考古学は、有史以前の巨大神殿を想定する。その傾向が強くなっている。こまったことである。太古の日本を、古代のギリシアになぞらえたいというショーヴィニズムが、増幅されたのか。あとひとつ社殿のない信仰というものが、想いえがきにくくなっているせいもあるだろう。

 いっぽう、著者は社殿が存在しなかった時代も、まだしのべるという。「存外、私たちの身近なところ」からもせまれる、と。

 じっさい、著者は私たちをとりまく世界に、太古の信仰がのこる、その跡をさぐっていく。正月飾り、春の田植まつり、地鎮祭、塞の神などに。社殿の出現後も、形をかえつつ生きのびた。江戸幕府や明治新政府の宗教政策もくぐりぬけ、二一世紀につたわっている。そんな信仰から、太古のそれをおしはかろうとする。

 近年の考古学などでだまされないためにも、ひろく読まれることをすすめたい。

 ◇角川選書

KADOKAWA 本の旅人
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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