巻末で明かされる「森」の“意味”言葉では及ばない写真集の魅力
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
この写真集をカフェで開いたが、すぐにまずい、と家に戻った。周囲に構わず、独りきりの空間で感情に身をゆだねて読みたかった。
薄暗い木立の写真が数点つづく。ざわざわと揺れる木々の枝。徐々に視点が下がり、枯れ葉の落ちている地面にむかう。この森の意味は巻末の文章を読むとわかる。衝撃は大きいが、そこに至る写真もまた別の意味の驚きに満ちている。
生まれたての赤ん坊が産湯に浸かっている。その子が腕に抱かれ、保育園に入り、七五三を迎え、小学校に入学する、という成長の過程がアルバムから引用したカラー写真でつづられる。利発な感じの少年の横には、いつも浅黒い顔の女性が付き添っている。色白の少年と対照的なこの人は著者の祖母であり、少年は従弟の大輝だ。
一転してモノクロページになると、少年は長身の男性に成長している。背の低い祖母とは頭ひとつ以上背丈がちがう。スーパーの買い物、ごはんの支度、入浴、爪切り。ふたりの生活の細部が描かれる。ベッドの隣には布団が敷かれ、一緒の部屋で寝ているのがわかる。
大輝は子どものときからおばあちゃん子で同じ部屋に寝ていた。勉強するのもそこで、親よりもおばあちゃんになついていた。大学入学を機に家を出るが、祖母が大病すると実家で同居生活をはじめた。ユーモアあふれる親密な関係に頬がゆるむ。余命一年のはずの祖母は彼の熱心な介護で生き延び、元気になる。
ところが巻末の文章に至り、森の写真の意味を了解するやいなや、それまで心に浮かべてきた一切の言葉が消えてしまう。厳かなものに触れている思いが言葉を慎ませ、この沈黙のためにこれらの写真があるようにも感じられてくる。
時が止められているゆえに見る者に対話を促す、どんな言葉をも薄っぺらくする写真の王道を行く写真集。近年のベストテンに入る。