『西欧の東』
- 著者
- Penkov, Miroslav, 1982- /藤井, 光, 1980-
- 出版社
- 白水社
- ISBN
- 9784560092712
- 価格
- 3,080円(税込)
書籍情報:openBD
西欧の東 ミロスラフ・ペンコフ著
[レビュアー] 山家悠平(女性史研究家)
◆結晶化した孤独の美しさ
ページをめくるとブルガリアの荒涼とした光景が広がる。著者のミロスラフ・ペンコフはブルガリアで生まれ、十九歳のときにアーカンソー大学に留学する。共産主義の理想を信じる祖父とアメリカ留学中の青年の対話を描いた短編「レーニン買います」で注目を集め、二〇一一年にデビュー作となる本書をアメリカで刊行した。
流麗な翻訳を通してふれるペンコフの言葉には、孤独が結晶化したような美しさがある。収録の八つの短編はいずれもブルガリアにかかわる人々の物語だ。
表題作「西欧の東」(O・ヘンリー賞受賞作)は、冷戦下の小さなロマンスを描く。かつて村をふたつの集落に分けていた川はやがて国境になり、共産体制下のブルガリアに残された「ぼく」は、対岸のセルビアに生きるいとこのヴェラに恋をする。ジーンズやスニーカーといった「西側」への憧れと、生まれた土地への愛憎の間を縫うように川は流れる。銃を持つ警備兵の目を盗んで、ふたりは川に沈んだ教会の十字架のそばで泳ぎながらキスをする。
あるとき司祭の言葉をききながら少年は思う。「川のようになれたら、と心から願った。川には記憶などないのだから。そして、大地のようには絶対なりたくないと思った。大地は決して忘れることができないのだから」。ふたりをつなぐその十字架もコソボ紛争の中で破壊された。
物語に通奏低音のように響いているのは、国や政治体制に翻弄(ほんろう)され引き裂かれながらも、自由や「ここではない生」に憧れ、生きようともがく人々の孤独である。それは、郷里から離れ、かつての西側の中心地アメリカに暮らすペンコフ自身の孤独とも重なるだろう。「美しきブルガリア語よ、異国の言葉で物語る僕を許してほしい。その言葉は今では僕にとって愛(いと)しく身近なものになっているから」という著者の言葉が胸に響く。
冬の長い夜にこの本を開いてほしい。想像力に満ちた言葉にのって心は遠くブルガリアの大地へ旅をする。
(藤井光訳、白水社・3024円)
1982年、ブルガリア生まれ。作家。2001年に留学生として渡米。
◆もう一冊
G・ガルシア=マルケス著『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』(新潮社)。木村榮一訳。