他人には見えない“自分ルール”で生きる人たちの不思議な世界を描く
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
自分ルール、恐るべし。
誰の中にもその人にしか通用しない決まりが存在する。気心が知れているつもりの人でも、頭の蓋を開けて中を覗きでもしない限り、本当のところは見えてこない。
今村夏子は、そんな私たちのわかりあえなさを的確に言語化する作家だ。最新短篇集『父と私の桜尾通り商店街』を読みながら、足元にぽっかり穴が開く感覚を何度も味わった。奈落の底に落ちそうで不安なとき、人は思わず笑ってしまう。その笑いがさざ波のように広がり全体を包み込んでいるのだ。
収録作の「ひょうたんの精」は、高校のチアリーディング部マネージャーの〈わたし〉が、なるみ先輩の秘密を語る話だ。中学時代、なるみ先輩は太っていて、自分のことを「デブで丸くて、茶色くて、中身はからっぽ」のひょうたんみたいだと思っていた。だがあるとき、自分の中がからっぽどころではなく、あるもので満たされていることに気づいたのである。そこから急激に痩せていった先輩は、チアリーディング部いちのスタイルの持ち主になる。
十代の過剰な身体意識が背景にあるのだろう。時に摂食障害の原因になるほどに、この世代にとって自己の身体イメージは重要だ。なるみ先輩もその境界線上で揺れ、やがて一つのルールを発見する。それを守ることで世界の破滅を防ごうとするなるみ先輩の姿は神々しくさえある。
こうした形で、他人には見えないし理解もできない決まりの中で生きる人々が描かれるのである。表題作は、繁盛しないパン屋を畳もうと決意した店主の父と娘の〈私〉の話だ。主人公が「桜尾通り商店街のパン屋であること」に固執し続けるこの物語は、とんでもないところに着地する。自分ルールにこだわったら確かにそうなるよね、と頭では理解できるのだが、納得はなかなかできず、結末を何度も読み返した。そういう小説を書く作者なのである。