【自著を語る】マーケティングの危機と感覚マーケティングの台頭が意味するもの

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消費者理解に基づくマーケティング

『消費者理解に基づくマーケティング』

著者
須永 努 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経営
ISBN
9784641165311
発売日
2018/11/14
価格
4,180円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【自著を語る】マーケティングの危機と感覚マーケティングの台頭が意味するもの

[レビュアー] 須永努(関西学院大学商学部教授)

 本書は、消費者行動を専門に研究を続けてきた筆者が、近年に行った研究の成果をまとめた学術書である。本書の中心的テーマの一つである感覚マーケティング(sensory marketing)は近年、マーケティングの領域で大きな注目を集めている。その中でもクロスモーダル対応(視覚と聴覚など異なる感覚器官間の相互作用)が消費者行動へ及ぼす影響を扱ったが、本テーマに関する日本語のマーケティング書籍は皆無であった。本稿では、このような本書を執筆した背景や本書に込められた思い、そして本書を書き終えて思うことを記したい。

マーケティングの危機を乗り越える

 マーケティングの基本は消費者/顧客志向であり、顧客のニーズを理解し、その充足に寄与する解決策を提供することである。したがって、顧客や消費者の理解なくして効果的なマーケティングの計画も実践も不可能である。そこで私は、顧客や消費者の理解があらゆるマーケティングの基本であり、消費者行動研究はすべてのマーケティング活動に通ずると考えるようになった。そのような思いから、修士論文のテーマを決める頃、この分野を研究テーマとする研究者になろうと決意した。

 ところが、消費者行動を専門に研究を始めて数年が経ったころから、前述のようなマーケティングの根本原理に異を唱える論調が目立つようになってきた。世の中が経済的に豊かになり、技術も発達すると、消費者の基本的なニーズはほぼ満たされた状態になる。そのような現代に生きる消費者は、もはや自分が欲しいものは何かと訊かれても、明確な答えを持ち合わせていない。よって、消費者ニーズを起点とする消費者志向のマーケティングは限界にきているというのである。消費者志向でスマートフォンやロボット掃除機のようなイノベーティブな製品を開発することはできない。消費者は何が欲しいのか自分では分からないので、消費者に何が欲しいか訊いても仕方がない。そのような認識から、「うちはマーケティングをしない」と公言する企業や経営者も現れるようになってきた。

 こうした認識に基づくマーケティング不要論や「マーケティングから画期的な新製品は生まれない」といった主張に反論したい、という思いが本書を執筆した背景の一つであった。私の眼には、前述のようなマーケティング懐疑論者は、明言されたニーズ(消費者自身が発言したニーズ)のみを考えていて、その他のタイプのニーズに目を向けていないか、それらを捉えようとする努力を放棄している(無理だと諦めている)ように映る。つまり、問題は「明言されたニーズ」以外のニーズを知る術がないことであり、それは「消費者が自分自身のニーズを分かっていない」こととは異なる。つまり、そこには明らかな論旨のすり替えがあり、問題の根本は、明言されない「真の」ニーズ、あるいは「隠された」ニーズを捉えることのできる創造的な手法や枠組みが確立されていないことにある。マーケティングが不要になったのではなく、マーケティングに進化が求められているのである。そのことを読者の方々に訴え、理解していただき、解決するためのきっかけやヒントになるような考え方を提供したい、というのが本書に込めた思いである。

研究者として、自分なりの解決策を示す

 多くの方が、マーケティングと聞くと、消費者や顧客のニーズを満たすための活動であり、そのニーズを知るために、彼/彼女らにアンケートなどを通じて直接尋ねるというイメージを有しているかもしれない。それ自体間違っているわけではないが、アンケートの結果、多くの消費者が欲しいと発言した商品を提供することが、消費者志向のマーケティングではない。「これが欲しいと言われたから作りました」というのは、消費者に責任を押しつけているともいえる。消費者のことを深く観察・分析し、何気ない発言や行動からその真意に思いを巡らし、消費者の歩む人生や社会が豊かになることを願って商品を届けるのが消費者志向のマーケティングである。そのためには、消費者が単に訊かれただけでは明言できないような、自分自身でも明示的には意識していない深層心理に辿り着かなければならない。そこでは、消費者を金儲けの対象と考えたり、思い通りに動かそうと思ったりするのではなく、人格をもった一人の人間として見つめる姿勢が不可欠である。

 消費者行動研究の歴史が幕を開けてから110年以上が経過した。この間、非常に多くの有益な研究が蓄積され、消費者行動研究はマーケティング研究における中心的テーマの一つとなった。ところが、企業によるマーケティング・コミュニケーションの効果が飛躍的に上がっているとは必ずしも言えない。消費者理解が進んでいる現在においても、企業の送るメッセージが消費者へ意図したように伝わらない状況が依然として存在する。本書では、マーケティングが長らく抱えてきたこの問題の真相に、消費者情報処理の視点から迫った。消費者情報処理研究は、消費者行動研究のメインストリームであり、消費者理解を牽引するドライバーとして大きく貢献してきた立役者である。

 私が消費者行動研究をしていて面白いと感じるのは、消費者が見せる人間的な部分を深く理解できる点にある。単純な例を用いて説明すると、こたつの中が同じ温度であったとしても、その中が暗い場合よりも、オレンジ色に照らされている方が消費者は温かいと感じ、こたつに対する評価も高くなる。また、その日の気分によって、価格を重視したり、価格よりも機能を重視したり、機能よりもデザインを重視したりする。機械が決めるのであれば、そのようなことはない(そもそも今のところは、機械に気分はないだろう)。つまり、人間的ということは、別の言い方をすれば「機械的でない」ということである。そこに消費者を研究する醍醐味を感じている私からすると、消費者をコンピュータのアナロジーで捉える消費者情報処理モデルは、どこかの段階で限界が来ると思わずにはいられなかった。

 一方で、一人の研究者として、消費者情報処理理論がもつ利点と有用性は疑いようがないとも感じている。この理論が、消費者行動研究を科学として一段上のレベルに押し上げたことは事実であろう。そこで、消費者情報処理理論を否定するのではなく、その意義と有用性を保ちながら、そこに人間らしさを取り入れたモデルを構築できたら素晴らしいのではないかと、ここ数年ずっと考えていた。そうした考えから本書では、消費者情報処理モデルの課題を浮き彫りにし、その解決に向けて新しい視点とモデルの導入を提唱している。しかし、いざ世に出されると、身の丈に合わない、出過ぎた真似をしたのではないかという不安が胸をよぎる。消費者が製品の購入後にしばしばさいなまれる、「この製品を買って本当に正解だったのだろうか」などといった認知的不協和によく似ているが、これも人間らしさの一つであると思うようにしている。

日本の研究者、ビジネス・パーソン、企業に対する思い

 本書の第4章および第5章の基になっている原論文は英語で書かれており、今回改めて日本語版を作成した。これら二つの原論文はPsychology & Marketing誌に掲載されている。Scimago Journal Rank(SJR)によると、マーケティング分野の中で同誌は最高ランクのQ1に位置づけられており、国際的に極めて高く評価されている学術誌である。これまで日本人による論文で同誌に採択された例はほとんど(あるいはまったく?)なく、第5章の原論文は、Psychology & Marketing誌に掲載された恐らく初の日本人による単著論文である(もちろん、さらにハイランクのマーケティング関連ジャーナルに論文が掲載されている日本人研究者もいる)。

 これら二つの章の中心テーマは感覚マーケティングである。感覚マーケティングとは感覚(sensation)と知覚(perception)に関する理解をマーケティングへ応用しようとする取り組みのことであり、近年、研究と実務の双方から注目が集まっている。現代のマーケティングでは、企業間における技術的水準が同質化し、製品やサービスにおける本質部分での差別化が困難となるコモディティ化の問題が深刻化し、いかにして脱コモディティ化を図るかが重要なテーマとなっている。このコモディティ化を脱するための切り札として感覚マーケティングに大きな期待が寄せられている。

 日本にはもともと、感覚的な要素を重視する文化・国民性がある。私は常々、感覚マーケティングが重視され、企業の競争優位の源泉になる現代のマーケティング環境にあって、日本の研究者やマーケターがそのようなコンテクストの中で生活し、感覚的な要素に対する繊細な感受性を持ち合わせていることは、グローバルな競争の中で大きな強みとなるはずであると考えている。「もののあわれ」や「わびさび」に表されるように、私たちは古くから繊細な美的感覚を磨いてきたDNAを受け継いでいる。海外からの旅行客や留学生は、日本のデパートで見たラッピングの手際よさと美しさに感動することが多い。このようなラッピングの技術や価値観も、日本に古くからある風呂敷などの「包む文化」や折り紙文化に根差しており、一朝一夕に真似できるものではない。

 バブル崩壊以降、長らく続いた不況の下、日本企業はグローバルな競争においてやや後塵を拝してきた感がある。マーケティングや消費者行動の研究面においても、これには言語の問題によるところも大きいが、国際的なトップジャーナルに日本人研究者による論文を見ることは極めて少なかった。ビジネスのグローバル化が進む中で、曖昧な表現を好み、場の空気を読んでしまう日本人は論理的でなく、国際的な場での議論や競争に弱いと言われてきた。感覚マーケティングの台頭は、今こそ日本企業や日本人研究者がプレゼンスを高める絶好の好機であることを示唆しているように思える。もちろん、日本の企業や研究者が世界で活躍できる分野は、感覚マーケティングに限らない。私の論文がPsychology & Marketing誌に掲載されたのは、私が日本の研究者の中で優れているからではなく、これからさらに上のジャーナルに日本人による論文が掲載されるのがごく普通になる日が来ることの前触れでしかないと思っている。本書が、そうした能力と意欲を持つ研究者やビジネス・パーソンの後押しをすることができたならば、本書を世に出した意義は十分にあったと結論づけて良いだろう。

有斐閣 書斎の窓
2019年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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