『人事管理――人と企業,ともに活きるために』(有斐閣ストゥディア)刊行によせて

対談・鼎談

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人事管理

『人事管理』

著者
平野 光俊 [著]/江夏 幾多郎 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経営
ISBN
9784641150478
発売日
2018/06/28
価格
2,268円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『人事管理――人と企業,ともに活きるために』(有斐閣ストゥディア)刊行によせて

本書の狙い、著者の想い

平野 本日は、私と江夏幾多郎先生の二人でまとめた『人事管理』という教科書について、守島基博先生(学習院大学経済学部教授)をお招きし、その内容や意義などに関し意見交換してみたく思います。守島先生にはお忙しいなか有難うございます。
 はじめに、著者の私たちから、簡単に本の紹介をさせていただきます。本書の主な狙いは以下の3点です。
 1つは、経営の視点と人の視点との統合。経営資源はヒト・モノ・カネ・情報と言われますが、ヒトは生身の人間ですので、モノ・カネ・情報とは当然異なる面があります。そういった、生身の人間としてのヒトという観点を重視し、かつ、それを経営資源としていかに活用するかという意味で、経営の視点と人の視点との統合を意識しました。そのために学際性を重視し、人的資源管理論を主体としつつも、戦略論や組織論、心理学、社会学、経済学などの知見を取り入れました。
 2つ目に、戦後日本の人事管理を大まかにでも振り返って現在の立ち位置を示し、その上で中長期のタイムスパンで今後10年くらいを展望してみようと。すなわち、人事管理のこれまでとこれからの統合です。
 3つ目に、人的資源管理論は学術の一分野として知見を蓄積してきていますが、その対象は人事管理という実務の世界です。この両者、すなわち、学術としての人的資源管理論と実務としての人事管理とを接合する教科書を目指したいと。したがって、学界での議論をなぞるだけでなく、現実に起こっている課題に人的資源管理論の知見からアプローチするよう意識しました。

江夏 それから、私たちがどういった想いで本書を著したかということは、本書のサブタイトルに少し表れています。ただ、「人と企業、ともに活きるために」などといったところで、人事管理は本来的に、各人の個人的なニーズに対応しながら彼らの力を企業の事業につなげる活動ですから、一見するとこれは当たり前のことしか言っていません。それでもわざわざこういうサブタイトルを付けたのには、この「当たり前」をめぐって、近年の日本企業が岐路に立たされているのではないかという問題意識があります。
 収益力の伸び悩みや、長時間労働、仕事上のストレスなど、いろいろな問題が指摘されています。ほとんどの企業は人をぞんざいに扱おうと意図していませんし、そもそも雇用契約が成立した時点で労使は対等だとも言えますが、多くの就労者や学生たちがそれらの点に疑問を抱いているようです。だからこそ、人と企業の関係の現状と今後のあるべき姿について、著者から仮説を投げかけ、読者にも積極的に考えていただければと思いました。
 本書でそのキーワードの一つにしているのが、「エンプロイアビリティ」です。日本では、雇用システムを見直す文脈で企業側から発信されたという経緯もあり、働く側にとってこの言葉の印象は必ずしもよくありません。企業は雇用確保の責任を労働者に押しつけるのか、といったイメージで語られています。でも元々の意味をたどれば、国際労働機関(ILO)によって、労働者個人が企業との雇用関係を主体的にアレンジし、クオリティ・オブ・ワークライフ(QWL)を高め、仕事人生を充実させるために必要な能力として提唱された概念なのです。
 そこで本書でも、本来の意味でエンプロイアビリティを取り上げて、企業の存続や発展を前提としながらも、人々が自分らしく人生を全うする上で求められる職務遂行能力や所属企業とのかかわり方を考え直したいと思いました。教科書だからこそ、本書の想定読者は学生や社会人大学院生など、これからの社会を当事者としてつくっていく存在なので、そういう大きな問題にもつながればいいなと。

ゼミ向きの教科書?

守島 お二人のそういう想いは、この本からよく伝わってきます。とりわけ、どうやって人の視点と経営の視点とを調和させていくのかは、かなり強く出されていますね。今までの教科書は、基本的には用語とか制度とか労働市場のデータとかを読者に覚えてもらおうというのが一番のポイントで、これは語弊があるかもしれませんが、その意味では主張がなかった。それに対して本書は、これから日本の雇用システムも人の働き方も変わっていく中で何を考えなくてはいけないかを伝えるのに、いい教科書だと思います。
 一方で、事実の説明を主眼とした既刊書に比べると、比較的高度な用語が学生のわかるレベルでは説明されずに用いられている箇所が散見されます。そういった点については、たとえば『新しい人事労務管理』(有斐閣・2015年第5版)などを併用したりする必要があるかもしれません。
 私自身はゼミで、これを一章ずつ読ませてグループで発表させた上でディスカッションする形で使っていて、必要な知識は私が補っています。ただ、去年のゼミでは『入門 人的資源管理』(中央経済社・2010年第2版)を使ったところ、必要な統計や事実は理解してくれましたが、そこからディスカッションしようとするとあまりうまくいかなかった。今年は、本書を読んで議論するポイントを挙げてと課題を出すと、たとえば「働く上での自律ということを、学生の段階で学んでおくべきか、あるいは少し就業経験を経てからのほうがいいか」といった、おそらく平野先生・江夏先生も読者に考えてもらいたいと思われていたようなことを、学生のほうから挙げてきてくれます。それはとてもいい刺激になりますね。
 なので、私としては、本書はいわゆる立ち講義の、聴いて覚えていくタイプの学習ではなく、考えさせられる場に適した教科書だと思いますね。

江夏 たしかに、本書には、「日本企業の○○%が能力を重視して従業員を評価している」「△△社の事例では……」といった、事実そのものに関する記述は少ないです。一方で、事実に関する概念的な説明や、事実の背景にある構造についての説明は、むしろ厚くなっています。今の例で言えば、日本企業でいう能力とは何かとか、そうした能力定義に基づいた評価実務が実際に成り立つのか、といったことまで書きました。ただ、学生が一人で読んでもわからない部分があるでしょうから、ディスカッションで補完したほうが内容を深く伝えられるのかもしれません。読むという受動的な学習と、発信するという能動的な学習とのかみ合わせという意味では、現代的な学びのニーズに合っていそうですね。

守島 そう。インタラクティブな学習には役に立つ教科書だと思います。知識の補足に関して付言すると、それをしないと学生たちはインターネットを見始めちゃうんですよ。ネットには間違った情報もたくさんあって、この前も昇進と昇格の違いを議論したときに、同じだと書いてあるサイトを見せてきた学生がいました。でも、本書には両者が違うと正確に書いてあるし、しかもこの違いは日本の人事管理を考える上で大きなポイントの一つなわけです。なので、そのネットの記事は間違っているよと、ちゃんとした根拠をもとに言ってくれる誰かがいないと、難しい面があるんですよね。ただ、それさえあれば学生たちも十分、意味のある議論はできると思います。

平野 既存の教科書の多くは、賃金制度、格付制度、教育制度といったように、人事の機能ごとに制度を細分化して、それぞれの内実を説明していますが、この教科書では、人事の制度を設計するときの底流にある考え方を重視しました。そこで、機能ごとに章を立てるのではなく、バリューチェーンという考え方で一つのシステムとして全体を捉え、それに則して人事管理を細分化する章立てにしているのも、本書の特徴と言えると思っています。

守島 私もそれは正しいやり方だと思います。つまり、企業が人的資源を管理するときに、賃金や評価の制度は手段に過ぎません。むしろ、それらをどういう考え方あるいは方針に基づいて設計していくかのほうがはるかに重要なので、バリューチェーンで捉えるのはいいと思いますね。
 ただ、たとえば本書の第7章「評価と報酬」に書かれている内容は、インセンティブという概念に集約できると思いますが、その前に学生たちが、そもそも「報酬って何?」ということをイメージできていない場合があります。それに対して、報酬というのは君たちがコンビニで週に何時間かバイトしてもらう給与のことだよという翻訳をして、橋渡ししてあげないといけない。コンセプチュアルにまとめるという両先生の意図は大切ですが、少なくとも初学者にはややとっつきにくい面のある教科書でもあるとは感じます。
 アメリカの人事の教科書を見ると、たとえば報酬や評価について、まずそれらの制度そのものを説明した上で、これらはインセンティブの一部です、インセンティブとは人を動かすための考え方と仕組みです、それではその具体的な設計をどうするかについて今度は人事の思想を議論しましょうと、段階を追って書かれていて、百科事典みたいに分厚いですよね。それら全部を本書くらいの紙幅で一冊にまとめるのは無理だと思います。
 人事が、まず思想や全社的な目的があり、戦略や方針があり、具体的な制度があるという流れだとすると、本書は比較的その前のほうに議論を集中させているように見えます。それは別に悪いことではないと思うんです。

学生にも当事者意識を

平野 ゼミではなく、大教室の講義で3~400人の学部生向けに用いるとして、何かご示唆はおありですか。

守島 たとえば職能資格制度について、それが何で、それによって賃金がどう上がっていくかといった話は、どんな先生でもなさるでしょうけど、本書を使うのであれば、そういう制度の説明だけで終わらないで、それが働く人や企業に対して持つインプリケーションまで議論しないと、この本のうまみが出てこないように思います。
 ただ、3~400人を相手にインタラクティブというのはかなり難しいですし、無理にやっても非常に表面的になってしまう。そういうときには事例が大事になると思います。それこそ職能資格制度であれば、今の大学3、4年生が生まれた頃にいわゆる成果主義が入ってきているわけで、それはどうしてだったかを実際に導入した企業の事例を持ち込んで解説するとか。
 そういう意味では、本書をある程度マスな講義で採用したとしても、学生たち自身がこれから経験するかもしれない人事制度が、自分たちにとって、また相手側の企業にとって、どういう意味があるのかを考えさせる教科書としてはいいということですね。ただ、そのためにも、考える材料としてある程度リアルな、彼らにも想像しやすい事例を与える必要はあると思います。

江夏 私はこの本の内容に沿った形で、「経営労務」という大講義を10年ほどやっています。受講生にはなるだけ当事者意識を持ってもらいたいのですが、幸い本学でこの講義は2年生向けなので、受講生にとっては就職活動が本格化する前のタイミングなんです。雇用や労働についての企業側のロジックは、いわゆるキャリア教育でもなかなか語られないので、受講をきっかけに自分の未来を考えてほしい。
 教科書の読者にとって、これからの人生を歩む上で大事なカウンターパートの一つには、自分を雇うことになる組織が入ってくるだろうと思います。それらの組織の意図や、その意図を実現するための施策の成り立ちを、ある程度体系的に把握しておくと、実際に経験するさまざまな困難に対して、それなりに納得して受け入れたり、積極的に立ち向かっていったり、「逃げ」とは違う意味で回避したりできる。人事管理とは、このような企業と従業員の関係性の調整そのものです。学生たちには、人事管理の当事者として、企業に対し、交渉の相手であると同時に協業の相手として、真剣に向き合えるようになってもらいたいと思っています。この真剣さは、単なる一生懸命さとは少し違うものです。

守島 私も自分の講義で同じような話をすることがあります。こういう話がなぜ重要かというと、生きていく中で働くことはものすごく重要な要素ですよね、時間的にも、人生そのものを豊かにしていく意味でも。だからこそ、働くことをめぐって何が起こっているのかとか、それがどういう原理に基づいているのかということを、学生たちにも理解してもらいたい。
 ただ、考えるきっかけを与えるとき、法的な部分も含めた今の人事管理のあり方を、学生はどの程度理解しておくべきなんでしょう。たとえば、今、ブラック企業という言葉がとても一般的になって、ある意味で拡大解釈されていますが、そこでブラック企業とは、みたいな話をしたほうがいいのか。その辺はどう思われますか。

江夏 もちろん基礎的な話はします。ブラック企業についてなら、法律を守っているかが判断の分かれ目で、使用者として脱法行為をしているのがブラック企業。言葉の定義的な説明としてはこれで終わりです。でも、それだけではなくて、変な拡大解釈をしてはいけない、ということも学生に伝えておかなくてはと思っています。脱法行為をしているような会社を避けなければならないのは当然ですが、そうではないのにちょっとしんどいとすぐブラックって言うのはよくない、とか。そもそも未経験者が楽な仕事ばかりしていては成長できませんから、「いわゆるブラック=回避すべき」なのかどうかは、働く側の意識、自分に対する責任意識次第の面があるとも言いますね。
 学生の問題意識や問いかけって大概は大雑把なので、それを少しずつ解きほぐしていきながら、卒業までのあと1年、2年をどう過ごすべきか考える。対話を通じてそういう流れに誘えるといいんでしょうね。

守島 ある用語の知識を学生と共有するとき、基礎的な定義を伝えるだけにとどめずに、どういう働き方とか生き方をしていくかとも関連していることを理解してもらいたいと。

江夏 そうですね。定義は他人とも共有できますが、そこから自分の問題に引きつけるとなると、「私だったら」という判断を彼ら自身がすることになります。そのためにも、基礎的な理解を押さえておくことと、常に考えることの両方が必要だと思っています。

議論の入口へ連れて行く

平野 この教科書の工夫として、まさに今のような点があります。というのも、制度の内実を淡々と説明するだけでは、学生は退屈してしまうと思うんですね。臨場感も湧かない。一方で、学生は、人はなぜ働くのかといった哲学的な話は結構好きだったりする。とはいえ、この科目でそういう話ばかりしていては空論になってしまいます。
 そこで、実務の営みである人事管理を、学生に興味を持って学んでもらうために、私たちが工夫したことが二点あります。一つは比較の観点。今のブラック企業の話であればブラックに対してホワイト、また、エンプロイアビリティには終身雇用を対比させることができるでしょう。こういった対立する営みや概念を比較する視点は、本書の横糸になっていると思います。
 もう一つは、経営の中の人事管理という視点。人事管理は、経営の中では購買・製造・出荷・販売・サービスに至るバリューチェーンの支援活動の一つなので、人事管理だけで経営のすべてが完結することはありません。したがって、たとえば組織の設計や戦略といった、経営における他の重要な要素を念頭に置きながら、すなわちバリューチェーンの互換性・整合性を意識して、人事管理の営みを説明しています。これらをどう思われましたか。

守島 たとえばブラックとホワイトという対照についてだと、理想的な企業がブラックということはないでしょうが、ホワイトならいいとも一概には言い切れませんよね。若い世代の多くが長時間労働している企業があるとして、そういった中で密な学習をさせて、かなり早期に人材を一人前に育てているケースは、世の中にたくさんあるわけです。表面的には残業続き・土日出勤もあるという情報でも、長期的なキャリアの観点から見れば、実はメリットもあるのではといったことを見抜いていく力こそ、学生に身につけてもらいたいと思うんですよね。
 比較だけでは不十分ですが、両極端の比較から実際には何が重要かを学んでもらえるなら有益だと思います。
 ワーク・ライフ・バランスも似たような話題かもしれません。これは昔の男性総合職的な働き方を、もう少し子育てとか趣味とも両立できる、あるいは病気になっても仕事が続けられるための人事施策といったイメージで語られています。でも、それは表面的な理解に過ぎなくて、実際のバランスは本人にしか実現できないということまで話さないと、少なくとも大学レベルにおける本当の教育にはならないと思うわけです。そういう議論の入口として、比較は効果的だと思います。

江夏 キャリア開発にしても、従来は企業主導的だったが、これからは個人の自律性尊重だとよく言われますし、本書にもそう書きました。でも、それを、これからは働く人が楽できるようになると解釈されては困ります。むしろ自律的に生きるために必要なことを、社外の勉強会や学校といった資源も適宜使いながら、自ら確立しないといけない。企業主導と従業員主体は何も対立軸ではなく、企業と従業員の目標の調整・共有という話ですからね。そういうことを、本書でどれだけ読者に伝えられているかわかりませんが。

守島 300頁で完全には無理ですよね。変化しつつある現状に関する事実を理解した上で、その中に自分をどう位置づけるか、そのために何が必要かまで論じるには紙幅が足りません。
 でも、先ほどと同じ指摘を別の言い方ですると、今までの教科書は、事実は示していても、その次のステップ、つまり、今後の流れに直面したときにあなたに何が必要かとか、何を考えないといけないかといったことを考えさせる入口にすら、実は連れて行ってくれていなかったと思います。本書は少なくとも入口には連れて行ってくれるので、私は面白いと思いますね。

江夏 入口に過ぎないかもしれないですけれども、無知が原因で、トレードオフでないことをトレードオフのように思い込んでしまうのをなくしたいというのはありました。
 自律的なキャリア尊重だのエンプロイアビリティだのと聞くと、労働者側だけでなく企業側からも多少、抵抗感を示されることがあります。せっかく従業員に投資しても雇用が流動化して経営が成り立たなくなるのではとか。でも、そうとは限りませんよね。自律性やエンプロイアビリティを尊重することで反対に人が集まってくることも考えられますし、あるいは、雇用関係とは限りませんが、従来なかったタイプの協働を担う働き手や組織が出現する可能性もあるし。なので、変化によって何が生じるかを多角的に捉えるということを、入口だけでも提供できているとしたら嬉しいです。

内的整合性と外的整合性

守島 それから、平野先生がおっしゃった二番目の工夫ね。経営的な整合性を重視している。それはすごく伝わってきます。これには著者のテイストも大きく影響していますね。ただ、人事管理は今、そういう内的な整合性と、戦略や経営環境などの外部要因との連関が、両方重視されるようになってきたじゃないですか。前者については本書できわめて丁寧に議論されていますが、外部との連関については少し弱い面がある。なので、MBAで本書を採用するのであれば、それについて補足しないといけないように思います。

江夏 外部との一貫性には割りと結果オーライ的なところがあって、論理ではいくらでも言えるんですよね。つまり、人事管理は外部要因との整合性が特定しづらい。それが、MBAで教育したり、ある種の「べき論」を議論するときの難しさだと思います。それは、学問の課題でもあるし、実務の課題でもあります。

守島 でも、こんなことを言うと実務家でいらした平野先生に怒られそうですが、今の実務家は、あまりにも内部の世界に閉じられた議論をするようになってしまっていませんか。制度の内的整合性に関しては、一時点についても、歴史的な観点からも、よく議論されているようですが、そもそも自社の人事管理のシステムが今の新しい経営環境と合っているのかといった疑問が、実はあまり抱かれていないんじゃないかと思うことがあります。

江夏 先ほど結果オーライなところがあると言いましたが、少し違う言い方をすると、結局は経営者なり人事のトップなりの意志の問題なんだということです。「わが社の戦略はこうです。だから、こういう人材が必要で、こういう人事施策を打ちます。さぁみんな、これで行こう」みたいな意志の強さ。たぶん、これらの要素一つひとつの論理的なつなげ方って複数ありうるので、組織がまとまっていくためには、結局、そこにどれくらい意志の強さがあるのかが重要なのではと思います。人事管理云々以前の問題として。

守島 ただ、そうした議論はこの教科書で扱える範囲を超えてしまっていますよね。私が言いたかったのは、実務家に対してこの教科書を使うなら、今のような話を少しは加えないと、どちらかといえば内的整合性の議論だけで終わってしまう可能性があるということです。つまり、本書には働く個人の視点が割合に強く出ていると思います。でも反対に、経営者や人事部から見ても役立つものにするためには、もう少し補足が必要だということです。

これからのトピックス

平野 本書は三部構成になっていて、第1部で人事管理の原理原則を、第2部は人事管理のバリューチェーンと題して、いま話していたような整合性を議論しています。そして最後の第3部は、事例に近い位置づけで、非正規労働者の問題や、女性活躍推進、高齢者活用、ワーク・ライフ・バランスといったトピックスを取り上げています。第1部・第2部で議論した知見を、第3部の事例にうまく組み込んでいけるかは、著者の私たちにとっても一つの挑戦でした。いま挙げたような第3部のトピックスは、企業の内部労働市場において労働力の多様性が増してきていることを表すもので、現代の人事管理の課題と言えると思います。そうした内容で第3部を構成したことは、どうご覧になりましたか。

守島 それらのトピックスはものすごく重要ですし、今の企業が考えなくてはいけない問題だと思いますが、今の大学2、3年生が企業経営や人事管理を真剣に考えるようになる時代には、おそらく別の課題が現れているのではないでしょうか。たとえば、第10章「非正社員の基幹化」であれば、「正社員ってどうなっちゃうの?」みたいな話が、働いている人にとってより重要なテーマになってくるはずです。ほかにも、最近であれば、AIやITの影響とか。第3部の各章のテーマは、他の教科書にも載っているような非常に一般的なトピックスではありますが、お二人が書かれるならば、現在の課題にとどまらずに、その一歩先についても、もう少し踏み込んで書いてもらいたかったという感じはしました。

平野 たしかに、AIの進化に代表されるような、第四次産業革命とも言われる新しい技術革新が、働き方や人事管理にどう影響するかは重要なトピックですが、本書では扱えていません。
 扱えなかったことで言えば、もう一つ、労働力の多様化に関して、正規・非正規のみならず、総合職の中も多様化しているという話題があります。従来とは随分違う働き方をする高度な専門職人材も含めて、ホワイトカラーの人材アーキテクチャのような考え方を、本書では紹介できませんでした。

江夏 あと、労働力不足についてもですね。これによって、労働密度や労働疎外といった、意外に古典的なテーマが戻ってくるような感覚がないでしょうか。労働力不足とグローバル化が相俟って、これまでいなかったタイプの人が日本に来て働くようになる。そうなったときに、もちろん多様性を認め合う社会というのは一つの未来として描きえますが、まったく逆の帰結として、言葉がわからなくても一緒に働けるようにということから業務内容がさらに標準化する結果、労働疎外の問題が生じたりという可能性もありますよね。こういったテーマも、もう少し盛り込めればよかったかもしれません。

守島 いま議論になっている移民政策などは、本当は、人的資源管理にとってもすごく重要なテーマですよ。

江夏 そうですよね。社会という観点から見たら、人事管理はミクロなトピックですが、そこにマクロの動向がどう落とし込まれていくのかという話はありますよね。

守島 あるどころか重要です。働き方改革も同じことです。私は、働き方改革は、最終的には個人の自由化というか、自由な労働に向かっていく動きでなければならないと思っています。

江夏 でなければ、やる意味がない。

守島 そう。ところが、今の働き方改革は、働かせ方改革になってしまっていますよね。だから、できているとしても労働時間の削減くらいでしょう。本当はその先、つまり、働く人たちが自分で自分の社会や労働をつくっていくということにつながらないと意味がないはずです。

江夏 その延長線上には、雇用という関係性ではない働き方や、その中で働いてもらうための基盤をどう整備していくかという課題も見えてきますね。
 副業・複業やフリーランスが盛んになってきていたり、従来的な雇用関係にある人の間でも出向が活発化していたりといったことは、そうした流れの現れと言えるのかもしれません。ある人が複数の場所で働くというのは、同じ人材を複数の企業がシェアすることとも言えますよね。自由化を考えるのであれば、複数の企業が一人にかかわる、あるいは一人の働き手が複数の企業にかかわる、といった観点からも議論ができるのかなという気はします。

守島 そうなると、処遇や報酬も、本書に書いてあるのとはまったく違ったものになるでしょうね。実際、最近のIT系トップクラスの人材には、雇用関係には何かと制限が多いと、雇用ではない働き方を選ぶ人がいます。やりたい仕事だけ企業から請け負うわけです。企業の側からすると、そういった人材をリテイン(維持)する必要が出てきている。でも、こういうリテンションをめぐる考え方や具体的な施策は、私たちが今の人事管理の枠組みで考えているリテンションとは全然違ったタイプのものでしょう。もちろんこれも労働力の多様化の一側面ですが、これまで議論されてきたダイバーシティとは全然タイプが違います。

江夏 ダイバーシティという表現もよしあしですよね。ダイバーシティって比較的ポジティブな意味で用いられている面がありますが、いま話していたような働き方が進むと、新しい格差社会につながりませんか。つまり、複数の企業と対等にかかわれるようなプロフェッショナルな働き方のできる人がいる一方で、どの企業にも相手にされず、仕事自体も外国人労働者やAIに取って代わられ、自己啓発する気も失って、社会の片隅に吹きだまるような人たちが増える可能性もあるのではないかと。こうした話題が企業の人事管理の問題なのかわかりませんが。

守島 私は、それは企業の人事管理のトピックだと思うんですよ。

江夏 従来の日本企業は、そういう世界を少なくとも見た目上はつくらない管理をしてきたとも言えますね。

守島 だからこそ、そういった格差を生むような社会的インフラストラクチャーができてしまったときに、企業がどのようにトップタレントを確保するのか、あるいは、言い方は悪いですがボトムの人たちにどう対応するかといったことは、実際の人事管理にとってたいへん重要な課題になるはずです。
 今の話で、トップタレント層を相手にすると言ったときに、人事管理の主語が複数企業になっていましたよね。であれば、ボトムの人についても同様に複数の企業が主語になる人事管理を考えられるのではないかとか。
 経営学という文脈で言うと、それを政府に言われたから考えるのでは面白くないですね。企業が自発的にそういうことに取り組めるように、やや下の層に対する人事管理も複数企業でやっていくことの経済的メリットや、それが個別企業の持続可能性にどうつながるかといったことを考えるのも、私たちの課題ではないでしょうか。
 本書には、そうした「現代的な」トピックスまでは書かれていなくて、その判断は正しいと思いますが、管理という枠組みを広くとれば含まれてくる話です。しかし、それには本当の意味での学際性が必要になりますね。

選択肢は等距離にある

平野 ただ、教科書という観点で言うと、私たちが今回執筆した内容は、オーソドックスあるいはフォーマル、すなわち先行研究があって実証されていてという、ある意味で安定的な知見の上に成り立っているものなわけです。ところが、AIが労働に与える影響や移民の問題といった、本当に未知の現代的トピックスは、それぞれの知見で自由に書こうと思えば書けますが、それらをしっかり教科書として書くのは至難の技ではないかと思います。

守島 そうですね。でも、だからこそ本書にも意味が出てくるのではないですか。人と組織の関係は、今は雇用を媒介にするのが中心的なあり方ですが、たとえば業務委託契約のようなものが基盤になるという世界は、いずれある程度は出現するでしょう。それがいつだろうかみたいな話は未来論になってしまいますが、そうした流れの中で、自分は何をどう考えて、どういうふうに生きていくのか。それでも雇用を選び、安定的に企業に育ててもらう道を進むのか、あるいは、非常にとんがった専門的なスキルを培って、西部劇のガンマンみたいに生きていくのか。そういうことを考えさせるのは、この本でも可能ですよね。

江夏 本当はいろいろな選択肢があるのに、学生も働いている人も意外と気づいていないことはありますね。彼らも日々意思決定しているでしょうが、どのくらい本質的にできているのかを考えると、結局流されて平均値的な選択をしていることが多い気がします。だからこそ、本書のような媒体で、選択肢は複数あって、少なくとも学生であれば、実はそのいずれもがあなたから等距離のところにあるんだよといったことは伝えたいですね。

守島 等距離にあるというのは、どれを選んでも、それなりに努力しないと実現はしないということでもある。

江夏 それぞれに道があるんだという話ですよね。そういうことを示すのは、教科書という意味でも、もうちょっと広く言うと言論という意味からも、必要だなと思いました。第二次大戦が終結した1945年や世界的に社会運動が盛り上がった1968年の後を半世紀以上生きる私たちは、ある一つのストーリーやイデオロギーを正しいと考えて、それを代表して生きられるほど、素朴ではなくなっています。だからこそ眼前に複数の選択肢があるわけなので、それらの構造を示して、「さぁ選んでみて」と提案するのが、言論の役割なのかなと。話が大きくなってしまいましたが、今のやりとりの中で、そういうひらめきを得ました。

守島 私もそう思います。しかも、変化の速度もものすごく速くなっています。昔は百年かかっていたのが、今は一年で変わってしまう。その中にいろんな道があって、選択しなくてはならなくなっている。しかも、今の若者たちにはすぐにどれかを選ばないといけない時期がやってくるということも、理解してもらう必要がある。
 そのとき困らないように、すべての武器を与えるとまでいかなくても、少なくとも武器の一部とか、何が武器になるかを考えるための根底は、この教科書が与えてくれると思います。

実務家への示唆

江夏 本書は、企業で人事に携わっている方々も想定読者にしています。本書はどう受けとめられると思われますか。当たり前のことが書かれているだけでしょうか。あるいは、自分たちがやっていることを振り返る材料くらいにはなるでしょうか。

守島 人事にもいろんなタイプの方がいて、平野先生みたいに昔から先進的な人事をされてきた方もいれば……。

平野 私は昔からオーソドックスで保守的です(笑)。

守島 おそらく大多数の人事の方たちの反応は、「へぇ、そうだったのか」だと思います。たとえば職能資格制度と成果主義ってこうつながっていたのかとか。今の人事実務家の多くは、この二つを統合的に理解していないと思いますから。そういった「へぇ」のうちの一部でも、考えるきっかけになっていけばいいんじゃないですかね。

江夏 最近、ベンチャー企業の人事担当者とお話しする機会が割りとあるんですが、みなさん「想い」はすごくあるのに情報をあまりお持ちでないんですよね。だからこそ自由にやれる面はあるのでしょうけれど。あるいは、伝統的な大企業の方でも、情報としては知っていても経緯を知らないとか。たしかに人事の方もいろいろですが、実務家にも示唆的な部分があると感じていただけたのであれば、心強いです。

守島 先ほど、選択肢が等距離にあるという話がありましたけれど、たとえばIT系のトップ企業というと、一般の人はバリバリの成果主義を思い浮かべがちなわけです。そういうアップ・オア・アウト的な非常に厳しい人事管理ももちろんありえますが、職能資格制度だって、ベンチャー企業の人事にとっても一つの選択肢です。
 そして、いくつか選択肢がある中で何かを選ぶという行為は、論理的な思考が伴わないとできません。本書を読まれた方が、そういうふうに考えてくれるようになることを期待したいですね。他社の人事システムがすごいと言って、置かれた状況がまったく違うにもかかわらず、それを取り入れれば自分たちの会社もよくなるんじゃないかとかいう話ってよくあるじゃないですか。そうならないで、どれだけ選択肢があるかをまず知って、それぞれがどういう意味を持っているのかを考えることは、とても重要だと思います。

江夏 平野先生がさっき保守的とおっしゃいましたが、それは別の言い方をすれば、選択肢が少ない中でもやるべきことをやり抜く姿勢なのではと思いました。そうあるためには、原理原則を把握している必要があります。あの企業がやっているからいいらしいというふうにならないように、考えるための基盤を示せていたら嬉しいですね。

平野 企業の経営者はよく人事部に対して不満を抱きます。その理由は、他の戦略部門や企画部門などに比べて、人事部門が非常に保守的で、なかなか変われないからです。
 しかし、ゴーイング・コンサーンである限り、企業には、現在の選択や意思決定が過去のそれらに制約を受けるという経路依存性があります。とくに人事の場合は、生身の働く人たちの歴史がその内部労働市場に生きていますから、それを一足飛びに書き換えるのはきわめて困難です。また、労使交渉があるため、人事部が自在にイニシアティブをとれるわけでもありません。したがって、進化したとしても漸進的にならざるをえないのが、経営者から見ると保守的に映るのでしょう。
 一方で、先ほどベンチャー企業の話が出ましたが、たとえば今から企業を立ち上げるという際には、経路依存性からは解放されているわけですから、フリーハンドでつくっていくことができます。しかし、本書は、どちらかというとゴーイング・コンサーンを前提にしていますので、ある意味、保守的な面はあると思います。

江夏 私は、「保守」も捉え方次第と思っています。変われない代表としての保守という側面もあるでしょうが、政治理論の保守主義の定義に近い捉え方をすれば、守るべきものを守り続けるためには何を変えないといけないかと考える姿勢も大切ですよね。
 最近の日本企業の人事を見ていると、新しい情報に流されてしまっているように思うことがあります。そのことが、変わらないのではなくて、むしろ変えられない結果につながっているのではと。そう考えると、経営者との信頼関係のもとで原理原則に立ち返って、漸進的に枝葉を落としながら守るべきものを残していくといったような意思決定ができるほうがいいのではないかと、個人的には思いますね。

平野 ただ、むしろ変わりたくない人事部が言い訳しているだけという可能性も実際にはありますよ。

江夏 変わりたい人事と、変わりたくない人事と、変われない人事がいるということでしょうか。

守島 先ほど平野先生はベンチャー企業がフリーハンドだとおっしゃいましたが、ベンチャー企業ほど、経験のない若い人が人事をやっていたりして、実はものすごく周りに影響されやすい面もあるんですよね。

江夏 フリーハンドどころかノーハンドの可能性もありますからね。

守島 そう。何をしていいかわからない。そこにいい事例が出てくると、それをパッと取り入れようとするんだけれど、それは間違っていますよね。
 結局、どういう状況にあっても、自社にとっては何が重要なのかを考えて、自分なりの人事戦略を立てていかなくてはいけないわけです。それなのに、伝統的な企業の人たちはかつて整合性のあったシステムを変えられないし、新しいベンチャー企業の人たちは何をどうやればいいのかわからない。
 この教科書は、そのような人事の実務家たちが何を残すか何を変えるかといったことを考えるのに示唆を与えてくれる本だと思います。というか、私たちが、本書をそういうふうに使って教えないといけないということなのかもしれませんね。

(2018年10月31日収録)

有斐閣 書斎の窓
2019年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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