【自著を語る】『福祉原理――社会はなぜ他者を援助する仕組みを作ってきたのか』

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福祉原理

『福祉原理』

著者
岩崎 晋也 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174429
発売日
2018/12/19
価格
3,410円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【自著を語る】『福祉原理――社会はなぜ他者を援助する仕組みを作ってきたのか』

[レビュアー] 岩崎晋也(法政大学現代福祉学部教授)

社会福祉の二つのベクトル――社会化と個別化

 社会福祉概論という学部の1年生を対象とした授業を担当している。この授業のねらいの1つは、社会福祉学としての問題のとらえ方を教えることである。受講する学生のほとんどは、生活上の問題は自己責任で解決すべき問題ととらえている。家が貧しいこと、介護を要する祖父母がいること、ひとり親家庭で子どもが家事を担わなければならないことなど、これらのことは個人に発生した生活問題ではあるが、社会にも解決すべき責任がある。社会問題でもあるからこそ、社会の仕組みとして社会福祉が制度化されているのである

 社会福祉学においては、個人化された問題を社会化してとらえ直すことがまず重要である。しかしそこにとどまらない。次に、社会化した問題に対処するために作られた施策を個々の生活問題の解決に役立つように個別化しなければならない。例えば、高齢者や障碍者へのケアの問題は、社会の視点に立てば家族だけが対処すべき問題ではない。よって社会全体でケアをするために高齢者介護保険制度や障碍者自立支援制度が必要なのである(社会化)。次に問題を抱える当事者の視点で見ると、単に制度化されたサービスの提供を受けるだけでは問題が解決しないことがある。それぞれが個別に抱える生活問題に合わせて、サービスの内容や他者との関係を調整して、援助していくことが必要なのである(個別化)。

 このように社会福祉は、社会化と個別化という2つのベクトルを有しているが、この2つの関係をどのように理解するのかが、社会福祉学の重要な争点の1つであった。社会福祉の制度が未発達な時代には、制度化を促すために、社会化を社会福祉の本質とみなす理論が主流であった。逆に、社会福祉の制度がある程度整備されてくると、それをどのように個別化して援助するのかというソーシャルワークの理論が主流になってきている。しかし実態としての社会福祉に社会化と個別化の両方の側面がある以上、両方を統合的に説明する理論を打ち立てようとこれまで様々な試みがなされてきた。

 しかし近年では、社会福祉の社会化と個別化の統合的理解というテーマ自体が流行らなくなってきている。むしろ社会福祉学は実学である以上、政策や実践に役に立つエビデンスを明らかにすることが重要なのであり、社会化と個別化の統合的理解などという抽象的な論争は生産的でないとみなす意見もある。確かに、エビデンスを明らかにすることは社会福祉学の重要な役割であり、かつての社会福祉の本質をめぐる論争はかみ合わないものであった。さらに近年の福祉サービスの準市場化は、福祉サービスに契約の論理を導入し、利用者がサービスや事業者を選択できるようになった。社会福祉サービスは必要に応じて社会化して制度化する一方、利用者は自ら必要とする社会福祉サービスを選択して(自ら個別化して)、生活問題を解決すべきこととされた(パーソナライゼーション)。こうした社会福祉のとらえ方が、社会化のみが社会的責任であり、個別化はすべて自己責任であるとすれば、そもそも社会化と個別化の統合的理解というテーマそのものが不要になるのである。

 しかしこれまでの社会福祉は、個別化にも社会的責任を負おうとしてきた。個別化にあたっては、社会福祉専門職であるソーシャルワーカーなどが、当事者の視点に立って生活問題を評価し、必要な個別化を援助してきた。つまり個別化し、当事者が抱える生活問題を実際に解決することまでを社会の責任ととらえていたのである。なぜなら、サービスを利用する権利は認められていても差別や偏見により実質上権利を行使できない場合、セルフネグレクトのように自ら問題を解決しようという意欲を失っている場合、児童や高齢者の虐待のように問題そのものを認識していない場合などがあるからである。

 ただし、個別化をすべて専門職が主導して進めることは、当時者の主体性への侵害になり、必要以上の介入はパターナリズムとして批判を受けることになる。個別化をすべて自己責任と解するパーソナライゼーションでもなく、すべて社会的責任と解するパターナリズムになることもなく、社会福祉という援助の正当性をどう確立するかが、現代においても理論上の大きな課題なのである。

秩序維持型福祉と秩序再構築型福祉

 本書は、この社会福祉の正当化というテーマに対して、これまでの社会福祉学のアプローチとは異なるアプローチをとった。社会福祉は、19世紀以降の近代市民社会で発生したものであるが、その意義を改めてとらえ直すために、古代社会の統治者の救済活動や普遍宗教による慈善活動など、人類の歴史において「関係のない他者」を援助する社会的仕組みを広く「福祉」とらえ、それぞれの社会において、なぜ「福祉」という仕組みを必要とし、それをどのような論理で正当化してきたのかを考察した。このようなアプローチをとったのも、現代の社会福祉は歴史的に大きな転換期を迎えており、その役割を考える上で歴史的に相対化してとらえ直してみることが有効であると考えたからだ。

 このように「福祉」をとらえ直してみると、「福祉」はいつの時代においても、常に社会の秩序形成に大きくかかわってきたことがわかる。例えば、もっとも最古の「福祉」は古代メソポタミア文明の都市国家で行われていたアマギと呼ばれる債務取り消し(徳政令)である。これは都市国家に導入された貨幣経済が、身分関係に加えて債務関係を作り出し、本来安定的である身分関係を不安定化させた。つまり債務を払えない市民が債務奴隷に転落するようになったのである。こうした事態に対して、王は本来あるべき身分秩序を維持するために、債務奴隷の債務を帳消しにして市民身分を回復させたのである。このように「福祉」には、既存のあるべき秩序から逸脱した者を援助して戻すことで秩序を維持するものがある。本書ではこうした「福祉」を「秩序維持型福祉」と名付けた。

 しかし「福祉」には「秩序維持型福祉」とは異なる系譜もある。キリスト教や仏教などの普遍宗教が提起する「福祉」である。例えば原始キリスト教は、身分関係や家族関係など既存の秩序を全否定し、すべての人が個として互いに「関係のない他者」となり、超越的な神を媒介して愛で結ばれる新しい秩序を提起した。そして慈善という「福祉」は、まさに神への愛の証として行われたのである。こうした福祉は、既存の秩序を維持する「秩序維持型福祉」とは異なり、まず既存の秩序を脱構築するところに特色があり「秩序再構築型福祉」と名付けた。

 この「秩序維持型福祉」と「秩序再構築型福祉」という2つの系譜は、近代以降も受け継がれて行った。近代市民社会という新しい秩序は、自由と平等を秩序原理としていた。そのため、特定の者を選別して援助する「福祉」は平等原理に抵触し、自助努力をすべきものを援助する「福祉」は自由原理に抵触する。よって「福祉」を近代社会で正当化することが困難になったのである。しかし現実には、大量に発生している貧困者を救済しないと社会秩序を維持できない。この「福祉」の正当化問題が、もっとも先鋭的な政治課題になったのが大革命後のフランスであった。フランス革命は、王侯貴族や教会など革命前の「秩序維持型福祉」の担い手を一掃したが、革命に賛同した貧しい民衆を放置することができず、共和政という新しい秩序において「福祉」をどのように正当化するかが喫緊の政治課題となった。フランスの第一共和政後も、帝政、王政復古、第二共和政と、めまぐるしく政体が変わったが、常に「福祉」をどう位置づけるかが政治課題であった。そうした中、第三共和政において、激化していったブルジョワジーと労働者の対立を解消する新しい秩序として提起されたのが、レオン・ブルジョワによる社会連帯論である。そしてこの社会連帯論に基づく「秩序再構築型福祉」が提起されたのである。

 この社会連帯論による「秩序再構築型福祉」は、その後、社会保険を中心とする福祉国家施策として具体化され、多くの労働者の生活は安定した。しかしこの「秩序再構築型福祉」には包摂されない人々がいた。ひとり親家庭、家族が十分にケアできない子ども・障碍者・高齢者などである。これらの人は社会的弱者として特別な保護が必要な存在とすることで、異なる系譜の「福祉」が対応することになった。それが現代の社会福祉の出発点であり、「秩序維持型福祉」として位置付けられたのである。しかしこの「秩序維持型福祉」としての社会福祉は、パターナリズムを基盤にしており、大きな限界と問題点を有している。そこで「新しい社会福祉」として「秩序再構築型福祉」に再編する必要があるということを本書で提起した。

本書を書き終えて

 社会福祉の正当化問題というテーマは、単に社会にとってなぜ社会福祉が必要なのかを明らかにするにとどまらない。援助を受ける当事者からも正当性が支持されなければならない。しかし2つの正当性を同じ文法で語ることは困難である。戦前の国家有機体説のように人間を国家の細胞として一体視すれば、同じ文法で語ることはできる。しかし個人の主体性を尊重する民主主義社会では、個人と社会の利害は簡単に一致しない。個人としての多様性と、社会としての共通性をどのように結ぶことができるのかが問題なのだ。本書を書きながら考えていたのは、まさに社会と個人の関係をどのようにとらえるべきなのか。そして「福祉」はこの関係にどのような役割は担っているかであった。風呂敷をあまりに大きく広げてしまったため、収拾がつかなくなりそうにもなったが、何とか脱稿できたことに安堵している。本書によって、一人でも多くの方に社会福祉学に興味を持ってもらえれば幸いである。

有斐閣 書斎の窓
2019年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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