阪急阪神東宝グループ創業者・小林一三の人生を通して読む経産&風俗史

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人口学の観点でビジネスを展開した実業家“小林一三”伝

[レビュアー] 板谷敏彦(作家)

 少子高齢化が進む現代日本。この基礎となる年齢別人口構成データは長い期間にわたって予見が可能な数少ない指標のひとつである。

 人口が増加して世帯数が増えれば住宅がいるだろう。すると次にはそこに住む通勤客を運ぶ交通機関の整備が必要になる。

 著者はこうした人口学の観点でビジネスを展開した実業家は小林一三をおいてほかにいないという。小林は結論から逆算してビジネスの始まりを決められる希有な実業家であった。

 19世紀末から20世紀初頭の大阪都市部は人口の急増により生活環境が悪化しつつあった。小林は大企業の勃興に伴う中間層の拡大は必ずや郊外に良い住環境を必要とすると考えた。

 阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道は、予想乗客数という前提ではなく、都市圏が拡がり、育ちつつある中産階級が郊外に住宅を求めるという大きな構想で事業を始めた。従って人口密集地ではなく田園に住宅地を造成してそこに線路を引いたのである。

 出張サラリーマンのための新橋の第一ホテル、中間層の健全な娯楽としての東宝映画、宝塚歌劇団なども、こうした人口学を根拠にした演繹(えんえき)的な発想のビジネスであると理解するならば、小林の事業は皆一本の糸で繋がるのだ。

 小林の事業は生活に密着したビジネスである。本書は小林の人生を通した経済産業史でありながら貴重な生活文化の風俗史でもある。

 阪急から、百貨店食堂のカレー、日劇に江東楽天地、果ては松岡修造まで、大部の本でありながら少しも読者を飽きさせない。

 著者は小林を「日本が生んだ偉大なる経営イノベーター」と呼ぶ。

 著者は人口減少期にある我々こそ彼にならい将来のヴィジョンを見定めて創意工夫してゆかねばならぬと説く。従来手薄だった戦後部分も充実し、本書は小林一三伝のひとつの完成形である。

新潮社 週刊新潮
2019年3月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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