『智恵子抄』の舞台となった房総半島の“淋しい漁村”
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
【前回の文庫双六】読了後はコーヒーが飲みたくなる一冊――野崎歓
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獅子文六はフランス人の女性と結婚し、大正十四年に娘が生まれた。奥さんは病気になり、フランスに帰国後、亡くなった。
そのあと獅子文六は男手ひとつで娘を育てたが、男やもめの暮しに疲れて再婚する。『娘と私』はその事情を描いた家庭小説。昭和三十六年にはNHKでテレビドラマ化され大人気になった(北沢彪(ひょう)主演)。
娘は身体が弱かった。そのため、獅子文六は小学生の娘を連れ、ひと夏を九十九里浜の片貝(かたかい)で過ごした。
昭和十年頃。当時、東京の人間は避暑に湘南や房総に行くことが多かった。湘南の場合は別荘が普通だったが、房総では漁師や農家の家を借りた。
獅子文六も鰯漁が盛んな片貝漁港に近い漁師の家を借りた。
空気はいい。魚はうまい。牛乳や卵も新鮮。娘はたちまち元気になった。「私」も海辺の暮しが気に入る。
とくに漁師料理「なめろう」が好きで毎晩、これで晩酌したほど。
房総半島の海辺の町にはいまでもひなびた昭和の漁村の面影が残っている。その風景に惹かれ、私は五十代の頃、中年房総族と称し、よく房総を旅した。
片貝にも行った。ここは高村光太郎と妻の智恵子ゆかりの地と知った。昭和九年、光太郎は精神を病んだ智恵子を片貝漁港に近い真亀納屋(まがめなや)の親類の寓宅に預けた。週に一度、薬や食料を持って東京から見舞いに行く。当時はこのあたり、淋しい漁村だった。
詩集『智恵子抄』に収められた「千鳥と遊ぶ智恵子」はここを舞台にしている。
「人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の 砂にすわつて智恵子は遊ぶ 無数の友だちが智恵子の名をよぶ。 ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――」
現在、真亀の浜辺にこの詩碑が建てられている。
かつてこの片貝まで東金からの九十九里鉄道という軽便(けいべん)鉄道があった。昭和三十六年に廃線になったが可愛い、いい鉄道だった。いま遊歩道が作られている。