波 ソナーリ・デラニヤガラ著

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波

『波』

著者
ソナーリ・デラニヤガラ [著]/佐藤澄子 [訳]
出版社
新潮社
ISBN
9784105901561
発売日
2019/01/31
価格
2,200円(税込)

波 ソナーリ・デラニヤガラ著

[レビュアー] いとうせいこう

◆亡くした家族を取り戻す

 作者ソナーリ・デラニヤガラはスリランカ出身の女性だが、これを書き上げるまで作家などではなく、ロンドンに住む経済学者であった。ではなぜ彼女が『波』を書いたのかといえば、二〇〇四年スマトラ島沖地震による津波によって両親と夫、そして二人の幼い子供たちを一瞬にして失ってしまったからだ。

 本書はその災害が起きる直前から、八年後までの微に入り細をうがつ描写の積み重ねによって出来ている。高い波を非現実的に感じながら夫や息子たちと逃げ始める時、彼女はなぜか隣室の両親に声をかけそびれてしまう。また、波にまかれる時間、彼女がいかにとらえがたい想念の中にいて子供の安否のことさえ明確に思い及ばなかったかが、まことに克明に描かれる。

 ソナーリはその後、自分だけが生き残ったことを知り、現実を否定し、自身を責め、自殺するまでのわずかな時間をやり過ごそうとする。亡くした家族を思い出すまいとし、思い出した途端に自分が壊れてしまいそうになり、現実に戻ってこられなくなる巨大な恐怖にさいなまれる。

 恥辱を感じ、周囲に怒り、ほんのかすかな過去のしるしにも怯(おび)える彼女の一日一日は、こうして人がやがて何かを乗り越え、もう一度立ち上がることの尊厳、あるいは亡くした大切な相手をどのように再び我が身の近くに呼び寄せるかの示唆に満ちている。それはまことに時間のかかる営為であり、誰も急(せ)かすべきでない濃密な月日である。

 作者が一文一文を涙に暮れ、歯を食いしばり、何度も消去してしまいながら書き継いだであろうことを、我々読者は静かに推し量る。それでいて作者が自分でない誰か、それも彼女自身が亡くした大切な相手だけでなく、むしろ作者と同じように「亡くした大切な相手」を持つ傷ついた人々の心の底へと文を届けているのがわかる。

 作者がそれを望んだというより、悲しみを書き尽くそうとする勇気が、自然にありとあらゆる他者の悲しみとつながりを結び、大きな慈愛となって私たちに到達するのだ。
(佐藤澄子訳、新潮クレスト・ブックス・2160円)

1964年、スリランカ生まれ。経済学者。ロンドン大教員、米コロンビア大研究員。

◆もう1冊 

いとうせいこう著『想像ラジオ』(河出文庫)。大震災被災者にささげる文学。

中日新聞 東京新聞
2019年3月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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