伝説の“呼び屋”トムス・キャビンの麻田浩と、YMOのマネジメント担当だったピーター・バラカンが日本の音楽の将来について考える

対談・鼎談

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聴かずに死ねるか! 小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事

『聴かずに死ねるか! 小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事』

著者
麻田浩 [著]/奥和宏 [著]
出版社
リットーミュージック
ISBN
9784845632633
発売日
2019/01/18
価格
2,420円(税込)

伝説の“呼び屋”トムス・キャビンの麻田浩と、YMOのマネジメント担当だったピーター・バラカンが日本の音楽の将来について考える

[文] 奥和宏(ライター)

ピーター・バラカンさん
ピーター・バラカンさん

海外に売り込むには

麻田 日本のアーティストを世界に売り込んだのは、ピーターのほうが先輩だよね? YMOで(笑)。

バラカン あー、まぁ……! いや、でもね、僕がYMOの仕事をしてた時期って、なんとか向こうの会社に少し出版権を持ってもらって、それでレコードが出せればっていう考えだったけどね。80年代のあの頃って、まだまだ早かった。アメリカにしてもヨーロッパにしてもね、まだ日本の音楽を聴くことに興味を持っている人はあんまりいなかった。だから、頑張ったけどあんまり実らなかった。いまは逆にね、どうしてこんなに急にみんな日本の音楽に注目してるんだろうって不思議なくらい。

麻田 シンコー辞めてYMOの事務所(ヨロシタ・ミュージック)に入ったのはいつ頃だっけ?

バラカン 80年の終わりですね。86年までいました。まあ、YMOは83年に解散しちゃったから、教授(坂本龍一)とアッコちゃん(矢野顕子)の仕事を中心にしてたんですけど。僕もね、ちょうど放送の仕事を同時進行でやるようになっていた時期で、ヨロシタ・ミュージックの仕事がそんなに忙しくないときはラジオ、途中からテレビもやるようになった。麻田さんが関わってるSXSWができたのってもっと最近の話ですよね? 2000年くらい?

麻田 いや、もう30年前。だって、僕が関わりだしてもう23年か24年だよ。

バラカン え! そんなになる? 90年代からあったの? ほんと?

麻田 そうそう。ピチカート・ファイヴをアメリカに売り込んで、そのあとすぐだったから。
バラカン そんなに早かったんだ。ジャパニーズ・デーみたいなのをやり始めたのもその頃から?

麻田 うん。そうなの。ジャパン・ナイトをやりだしたのがその頃だから、もう20何年やってる。

バラカン そんなに長いとは知らなかった。SXSWを僕が最初に知ったのは、たぶん90年代の終わりか、2000年前後だったと思うけど、いまに比べたら全然まだ規模が小さかったよね。

麻田 前は音楽だけだったしね。いまはもうSXSWフィルムはあるし、インタラクティブもあるし。……まあ、インタラクティブがいまは一番大きいんだけどね。あとはエデュケーションっていうのもある。EdTechみたいなヤツが。

バラカン じゃあ麻田さんが関わりだした頃は、かなり規模が小さかったの?

麻田 そう。まだ小さかったね。

バラカン わりとオルト・カントリーみたいなのが中心?

麻田 いや、そんなことないよ。テキサス・オースティンだから、ブルースもあるし、音楽はもう全部。なんでもあったね。

バラカン ジャパン・ナイトの反響は最初はどうだった?

麻田  最初は、プレ・ジャパン・ナイトみたいなのに、ロリータ18号と、パグスというホッピー神山がやってたバンドを連れていったの。そうしたらパグスはすぐにレコードを出すことができて、次の年にロラパルーザ(編注:91年にジェーンズ・アディクションのペリー・ファレルが組織したツアー型のロック・フェスティバル)にも出演した。ロリータはその二年ぐらいあとにドイツのBMGと契約してヨーロッパ・ツアー何回もやったりとかしたね。

バラカン そういう風に、もっと大きいフェスティヴァルに出るようになったりとか、レコード契約が決まったりとかってことはコンスタントにあったの?

麻田 いや、なかなかそれは。とくに最近は難しいね。レコード・ビジネスの形態がもう変わっちゃったから。昔は向こうのレコード会社が、比較的サポートをしてくれたけど、今はもう、ほとんどそういうことはないからね。反対に言うと、自分でやればいいという(笑)。だからSXSWにしても、ニューヨークから見て、オースティンって「サウス・バイ・サウス・ウェスト」なんですよ。そういう地域にいた人が、ニューヨークとかロサンゼルスに行かなくても自分たちが売っていくにはどうしたらいいか、っていう勉強会からスタートしてるから。だから、そういう意味でも、今はもうバンドが自分たちでいろんなことやる時代になっちゃったんですよね。

アジアを結べ

バラカン 日本の音楽の将来について考えると、まず日本人が、もう少し日本以外のことに関心を持ってもらえたらいいなぁと思うんですね。でもそうなるためには、たとえばラジオ局がもっと多様な音楽を選んだり、テレビでいろんな国の事情を真面目に取り上げたりする必要がある。真面目にっていっても、もちろんエンタテインメントにもなるような、そういう取り上げ方。日本に限らずなんですけどね、いま世界的にいろんな国がかなり内向きになっていて、たとえば移民排斥だったりとかね、そういう動きが残念ながらある。ちょっと負のスパイラルに入ってるというか。70年代のように戻るってことはまずないと思うし、業界全体も全部変わっちゃってるけど、いまのままだとちょっと残念な感じがありますね。でもどうやって変えていったらいいのか? 麻田さんのやってることも小規模だし、僕のやってることはもっと小規模ですし(笑)。うーん……。まあでも、次の人たちのニーズに応えてやり続けるしかないね、とりあえずは。あとは、麻田さんも中国に関わっているそうだけど、韓国なんかでもわりと大きな、いろんなジャンルのミュージシャンが世界中から集まるようなフェスティヴァルがあったりするみたいですね。

麻田 台湾もそうですよ。こないだアイアン&ワインも行ってたみたい。僕も昔日本でやってるのに、その話は全然来なかった(笑)。なんか台湾だけ行って帰るらしいんだけども(笑)。

バラカン だから呼び屋……っていうか、コンサート・プロモーター同士のネットワークを組むこともすごく必要だと思う。日本、中国、台湾、香港、シンガポールなどなど。アジアを回れれば、それこそ飛行機のチケットが安くなるし、みんなで経費を折半できるから。アーティストにとってもいいことだと思うし、音楽ファンも単独でだったら観られないようなアーティストが観やすくなる。実際にいまそれをすごくやりたいなと思ってますね。残念ながら僕は自分のラジオとかの仕事で東京からなかなか離れられないけど、麻田さんの知恵を借りたりしながら進めていきたい。ほかにもついこの前、マイクロアクションというところの根木龍一さんと言う人とお会いしたんですけど、彼はアジア諸国をいろいろ回って、いまも韓国のコンサート、イベント関係者のコンヴェンションかなんかをやってるんですって。だからね、そうした活動は急務だと思ってます。そういえば、細野(晴臣)さんも去年アジアでやっていましたよね。

麻田 台湾と香港でコンサートをやったみたいだね。

バラカン そうそう。いっぱいになったらしい。しかもね、昔のYMOを知ってる人たちが来てるんだろうなと思ってたら、細野さんの最近の音楽をちゃんと聴いてるって言うんだよね。

麻田 僕もこないだ台湾に行ってきてね。細野くんのライブを企画した人は僕の知ってる人なんだけど、ちゃんとみんな新しい音楽を聴いてたみたい。反対にYMOファンはそんなにいなかったよ。

バラカン 日本に比べたら人口が極めて少ないけど、ちゃんとそういう音楽に対する関心を持ってる人たちがいるってことは、すごくいいことだと思う。

麻田 僕もまさにね、いまはそれをやりたいと思ってる。台湾と香港と中国と韓国と、あとできたらシンガポールあたりをつなげたい。それと、日本のアーティストがもっと売れてほしいなと思いますね。最近CHAIという女の子のバンドが向こうですごくウケて、レーベル契約して、うまくいってたりするから。それと、とくに京都なんかそうなんだけど、最近の若い子たちには、もう東京がいいとかいう感覚はないね。

バラカン この前も誰かにそれを言われたな。東京以外のところに住みたがるミュージシャンたちが増えている。九州だったり、沖縄に住む人もいたり。他の国でもね、大都会を離れてもっと人間らしく生活できるところを選ぶ人が増えてるみたい。

麻田 いまはインターネットがあるからね。京都なんか、いますごく面白い。このあいだ福岡のバンドがSXSWに行ったけど、それも面白かったな。ちょっとソウルっぽくてね。アトラクションズっていったっけな? さっきも言ったように、昔の音楽ビジネスのスタイルっていうのは、日本だけじゃなくて世界中にもうほとんどないから。昔みたいに、じゃあワーナー・ブラザーズで世界の契約、みたいなことってほんとにないからね。ただ、日本でインディーズの洋楽をほとんど一手に扱っているのは、ホステス・エンタテインメントだっけ?

バラカン うん、近年のライ・クーダーのアルバム『ザ・プロディガル・サン』も、日本ではそこから出てるからね。

麻田 そうそう。あれは親会社が一括して、世界中に配給するみたいになってる。だからホステスもその日本支社みたいな形みたい。

バラカン そうなんだ。あと、もうちょっとダンス・ミュージック寄りだったら、ビートインクも面白い。最近、この二社からプロモーションのメールが毎日複数届いてますよ。

麻田 ビートをやっているのは……誰だっけ?

バラカン レイ・ハーン。

麻田 そうそう。彼はXTCのロード・マネージャーだったんですよね。そのときに日本に来たの。

バラカン いまはブライアン・イーノの右腕でもやってますね。ビートインクも持っていながら。いまはその二つのレコード会社が活発だと思う。大手はね、自分が権利を持っていても、国内盤を出さないケースがすごく増えてるから。まあ、ストリーミングが普及してきてるっていうのがあるかもしれない。

なぜ最近の音楽はつまらない?

バラカン 最近の音楽はつまらないと言う人もいるけど、アメリカのポップ・ミュージックも、80年代にMTVができたことがひとつの大きなターニングポイントで、レコード会社がみんなヴィデオを作んなきゃいけなくなっちゃったから、アルバム1枚を作る制作予算がものすごく膨れ上がった。70年代まではね、たとえば一番おもしろかったワーナー・リプリーズ、あそこがかなりシブい人たちのレコードを作り続けていたのは、制作予算がたぶんそれほどかかってないからだと思う。でも80年代になると、なかなかそれができなくなったもんだから、レコード会社がみんな保守的になっちゃった。新人と契約するときは、百万枚の見込みがないとなかなか契約できないみたいな。そうこうしているうちに、音楽が無難なものになっちゃった。ヒット狙いが多くなったりね。しかも、機械で音楽を作ることが多くなった。いまはもう完全にコンピュータの中で編集をするし、どんなに音程が違ってても直せるし、なんでも細かい編集ができちゃうからね。その時代その時代の流行りの音作りってあるから、こういう言い方をするとまあ「老人がまた」って言われるんだろうけど、どれを聴いてもみんな同じに聴こえちゃう。でも若い人はね、当然いまの音楽だから好きだと思うの。それはそれでしょうがないっていうか、当然なんでしょうけど……ちょっと面白くない(笑)。

麻田 だから僕はSXSW行ってるのがすごく幸せ。生で全部聴けるから。それはもうこの20何年ずっと聴いてたから(笑)。

バラカン そうだよね。生だとまた全然違うからね。その実力がすぐにわかるよ。

1970年代と比べると、音楽ビジネスのあり方は随分と変わってきたようだが、二人の“音楽が好き”とい情熱はいっこうに消える気配はない。今後も二人は、我々がまだ見ぬ素晴らしいミュージシャンたちをたくさん紹介してくれることだろう。

撮影:TAK岡見

リットーミュージック
2019年3月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

リットーミュージック

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