あわいゆくころ 陸前高田(りくぜんたかた)、震災後を生きる 瀬尾夏美著
[レビュアー] いせひでこ(画家、絵本作家)
◆変わりゆく風景 7年間の記録
風景を歩くとき、人はいろんなものを目と心で拾って歩く。しかし、風景が何も持っていなかったら――。
二〇一一年三月十一日の直後、画学生瀬尾夏美は、人の営みがことごとく流された土地で、巨大なさびしさとうつくしさに出会った。
当時万人が感じたであろう「あの日そこにいなかった」無力感。よそ者にはどこにも立脚点がない。だからそのまちに家を借りた。何も知らないから、知ろうとした。後ろめたさを感じスケッチ帖(ちょう)を広げられない時は、言葉を刻んだ。その七年間の記録が本著だ。
風景に広がる巨大なさびしさは、仮設や高台に住む人々、生き残った人たち、弔いの花を植えるおばさん達(たち)の、記憶と言葉でできていた。
「流されたまち」-瀬尾は“みえないまち”をそう呼んだ。やがて「ここにあったまち」は「平らなまち」「新しいまち」と変化し、復興の嵩(かさ)上げ工事が始まると、「天空のまち」となり、かつてあったまちは「下のまち」となって「二重のまち」が見え始めた。
移り住んで三年、復興という「第二の喪失」に気づく。山を削り、ベルトコンベアで土を送り込み、十メートル以上の土の山の下に埋められていくまち、記憶、風景。
過去と現在が視覚的に混じり合う“あわいの時間”、かつてあったまちと復興のまちの“あわいの日々”をここで過ごした画家は、人々の待望の暮らしが始まると、旅の者が気楽に立ち寄れる居場所が減ったと感じた。その位相の変化にたじろぎながらも、画家は被災と復興の「距離」と「風景」の解剖を深めていく。
山古志(やまこし)、神戸、広島の風景の上を歩き、イギリスでの作品展を経て、第二の旅に出る。自分の作品を通して、人々にあのまち「陸前高田」のあの日からを伝える旅へ。
たおやかで自由な眼差(まなざ)しを持った若い画家の七年間の言葉のスケッチ帖は、一人ひとりの物語が投影される余白と祈りに満ちていた。
(晶文社・2160円)
1988年生まれ。東京芸術大大学院美術研究科絵画専攻修士課程修了。
◆もう1冊
森健著『「つなみ」の子どもたち-作文に書かれなかった物語』(文春文庫)