21世紀に書かれた「百年の名著」を読む 第1回 イアン・マキューアン『贖罪』

レビュー

7
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

贖罪

『贖罪』

著者
イアン・マキューアン [著]/小山 太一 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784102157251
発売日
2018/12/22
価格
907円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

21世紀に書かれた「百年の名著」を読む 第1回 イアン・マキューアン『贖罪』

[レビュアー] 仲俣暁生(文芸評論家、編集者)

 人はなぜ「物語」を必要とするのか。なぜそれを「小説」という形式で書いたり、読んだりするのだろうか。イアン・マキューアンはあまりにも大きなこの問いに、さまざまな角度からアプローチしつづけてきた小説家だ。一九四八年に英国南部のハンプシャー州で生まれ、ベビーブーマー世代に相当する(米国のポール・オースターやスティーヴン・キング、日本の村上春樹と同世代)。一九七五年に刊行した第一短編集がサマセット・モーム賞を受賞して評価され、初期にはグロテスクさを強調した作風で知られていたマキューアンは一九九〇年代に入ると作風を一変させ、一九九八年に安楽死を題材にした作品『アムステルダム』がブッカー賞を受賞したことで、英国の現代文学を代表する作家として確固たる地位を占めた。

 二一世紀の最初の年、二〇〇一年に刊行された『贖罪』(原題:atonement)は、そんなマキューアンの誰もが認める代表作である。前作に続いてこの作品もブッカー賞の最終候補作となったほか、翌年の全米批評家協会賞を受賞。二〇〇七年には『つぐない』という題でジョー・ライト監督によって映画化され、国際的なベストセラーとなった。

 日本では二〇〇三年に小山太一により邦訳されており、ながらく新潮文庫から上下巻の分冊で出ていたが、全一巻にまとまったかたちで昨年一二月に復刊した。気軽に手に入れやすくなった機会に、あらためてこの魅力的な作品を紹介してみたい。

『贖罪』が描き出す物語の主要な舞台は二〇世紀前半のイギリスだ。第一部では一九三五年夏のある一日の出来事が描かれる。ドイツでナチスが政権を獲得し、欧州に戦乱の暗雲が立ち込めたこの時期、英国上流階級の一員であるタリス家では、長男リーオンの帰省の機会にささやかなホームパーティが催されようとしている。タリス家には両親のほか、学業を終えた長女セシーリア(愛称シー)と、姉より一〇歳年下の次女ブライオニーがおり、さらにこのタイミングに合わせてロンドンから従姉弟三人もやってきている。彼らの母ハーマイオニーは離婚の危機にあり、子どもをこの邸に預けたままにしようとしているのだ。

 リーオンはパーティのために友人のポール・マーシャルを伴って帰省する。ポールはチョコレートバーで財を成した人物で、英国がナチスと戦火を交えることにより一層の事業拡大をもくろんでいる。

 物語の冒頭ではまだ一三歳のタリス家の次女ブライオニーが、こうした人々が演じる『贖罪』という物語の主役となる。空想や物語を紡ぐことが大好きで、「世界をきちんと整理する欲望に取りつかれた子供のひとり」である彼女は、兄リーオンの前で「アラベラの試練」と題した自作を従姉弟たちと演じるつもりでいる。ブライオニーの浮き浮きした気分は物語の導入としてきわめて効果的だ。

 しかし邸内で起きたセシーリアと使用人ロビーとのある出来事を偶然に目撃したことをきっかけに、彼女のなかに「小説を書きたい」という気持ちが生まれてしまう。劇の上演は断念され、ブライオニーの関心は別の方向に向かいはじめるのだ。

 敷地内に二〇〇年前の礼拝堂や人工の島と湖さえある広大なタリス家の邸では、ロビーとその母グレイスの使用人親子が暮らしている(ハードマン父子という、もう一組の使用人もいる)。ロビーとセシーリアは幼馴染みで、ロビーは学費をタリス家から得てセシーリアと同じケンブリッジ大学で学んだ。身分の異なる二人の間では密かに愛が育まれていたが、そのことを「世界をきちんと整理する欲望に取りつかれた子供」であるブライオニーはうまく理解できない(あるいは「理解したくない」)。そんな彼女の虚偽証言により、この日の夜、ロビーは警察に逮捕されてしまうのだ。『贖罪』の第一部は、ここに至るまでの事態の複雑な経緯を描いて突然終わる。

 この五年後が舞台となる第二部と第三部では、登場人物の運命はすっかり一変している。

 ロビーは無実の罪で服役後、第二次大戦の勃発にともない軍に志願し欧州本土に送られている。だがフランスとベルギーを制圧したドイツ軍は連合国軍をダンケルクまで追い詰め、ロビーは撤退に向けた連合国軍の壊滅的な敗走のなかにいる(第二部)。

 ブライオニーは姉のセシーリアに倣いロンドンで看護師見習いとして働き始めたが、わずかな時間を利用して小説を本格的に書き始めている。そして五年前の出来事を謝罪するため、絶縁状態にある姉を訪ねようとする(第三部)。

 だが驚くべきことに第三部の末尾には、ここまでの話がすべてブライオニーによる「作品」であったと示唆するかのような、彼女のサインが記されているのだ。つまり『贖罪』のここまでは長大な「作中作」かもしれないのである!

 上流階級に育った姉妹の微妙な心理的行き違い、身分を超えて結ばれるはずの男女の悲恋、そして戦争という巨大な出来事のなかで翻弄される個人の運命――『贖罪』という作品には二一世紀の冒頭に書かれた小説にはふさわしからぬ、これらの時代がかった古典的な物語の要素がたっぷり盛り込まれている。この小説の大部分はマキューアンが書いた物語というよりも「ブライオニーが書いた物語」なのだから当然だろう。

 こうした仕掛けの一部始終が明かされる最後の「ロンドン、一九九九年」までを読み終えたなら、誰もがこの小説を冒頭から読み返したくなるに違いない。マキューアンは『贖罪』をまさにそのような作品として仕立て上げたのだ。

 科学やテクノロジーが圧倒的なまでに発展し、もはや文学が社会の中心的価値を占めていない現実のなかで、それでも人は「物語」というものを求めてしまうこと、その不思議さを描くのが小説の役割であることを、マキューアンは繰り返し作品にしてきた。これまでの作品では主人公はほとんど「非文学的」な人物(『愛の続き』では科学ジャーナリスト、『アムステルダム』では作曲家と新聞の編集長、『土曜日』では脳神経外科医、『ソーラー』では物理学者)であり、小説家が主人公となるのはめずらしい。

『贖罪』のエピグラフは一八世紀に活躍した女性作家ジェイン・オースティンの『ノーサンガー・アビー』から採られており、ブライオニーの初投稿作品には二〇世紀初頭のモダニズム文学の旗手ヴァージニア・ウルフのつよい影響があることが(作中の)文芸誌編集者に指摘されている。「ブライオニー・タリス」という架空の女性作家を生み出すことで、マキューアンは終わりつつある時代に手向ける花のように、英国文学史の伝統が幾重にも織り込まれた「小説と小説家をめぐる物語」を書いた。一〇〇年後にも読まれるべき傑作である。

季刊誌kotoba 2019年春号(https://kotoba.shueisha.co.jp/)より転載

kotoba
2019年春号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社インターナショナル

  • このエントリーをはてなブックマークに追加