<東北の本棚>八甲田遭難実像に迫る

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雪中行軍はなぜ失敗したか

『雪中行軍はなぜ失敗したか』

著者
川口泰英 [著]
出版社
北方新社
ISBN
9784892972584
発売日
2019/03/01
価格
2,530円(税込)

<東北の本棚>八甲田遭難実像に迫る

[レビュアー] 河北新報

 明治35(1902)年1月、陸軍青森歩兵五連隊が八甲田山(青森市)で遭難、199人の死者を出した事件は新田次郎が「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」の題で小説化、映画にもなり大ヒットした。しかし「史実とあまりに異なる」と著者は指摘、記録を丹念に追い、事件の実像に迫る。
 遭難場所の跡に現在、生存者の1人、後藤房之助の巨大な像が立つ。そこから北に青森市街地を眼下に見渡すことができる。「まさか、こんなに街に近い所で」と現場に立った人ならば誰もが感じるだろう。目を東へ転じる。雪中行軍の目的地は、そこから数百メートルと離れていない田代温泉だった。
 従来、青森連隊は(1)地図を携行していない(2)案内人を雇っていない(3)帰営策や持久策をとっていない-などから「無謀な行軍」と厳しく批判されてきた。しかし著者は、遭難事件を招いた理由を「田代という目的地の近さにあった」と解釈する。「近場だから安易な気持ちで山に入った。天候が険悪になっても、こんな近場ではおめおめと青森へ帰営もできない」と突き進んでしまった。生存者は「田代温泉に入って酒でものんでゆっくりやろう」といった証言を幾つか残している。背景に「慢心」があった。
 同時期、十和田湖を回る形で弘前三十一連隊が雪中行軍している。小説では軍上層部が青森連隊と弘前連隊を競争させ、八甲田山中で逢(あ)う作戦を指示したとしているが、裏付ける資料はない。青森隊は雪山踏査の演習で、弘前隊は士官候補生の研修で山に入っただけだ。時期が重なったために遭難した青森隊と、生還した弘前隊を比較、人々の興味をかき立てた。「199」という犠牲者の数に引っ張られるが、遭難事件とは一瞬の運命の踏み違いで起きるものだ。
 著者は1958年弘前市生まれ、在野の研究者。「小説はあくまで創作。史実の検証なしに犠牲者への鎮魂にはならない」と訴える。
 北方新社0172(36)2821=2484円。

河北新報
2019年3月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河北新報社

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