これが最前線、新鮮なお仕事小説――朱野帰子『わたし、定時で帰ります。ハイパー』

レビュー

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わたし、定時で帰ります。: ハイパー

『わたし、定時で帰ります。: ハイパー』

著者
朱野帰子 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103516422
発売日
2018/03/29
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

これが最前線、新鮮なお仕事小説

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

 2018年の朱野帰子は凄かった。3月に『わたし、定時で帰ります。』、8月に『対岸の家事』、11月に『会社を綴る人』という3作を上梓したのだ。このレベルの作品を3作続けて書きあげるのは、いまこの作家がノリにノッているからだろう。そうでなければ、こうは粒が揃わない。

『対岸の家事』と『会社を綴る人』についてはいずれ語る機会もあるだろうから、今回は私が初めてこの作家の真価に気がついた『わたし、定時で帰ります。』に話を絞りたい。

 朱野帰子はそれまで6作も上梓していたのに読んだことがなかったことを正直に書いておく。『わたし、定時で帰ります。』を手に取ったのは、昨今流行りの「お仕事小説」だろうと思ったからだ。

 ところが、『わたし、定時で帰ります。』は、それらの「お仕事小説」とは一線を画していた。なんなんだこれは! と一気に引きずり込まれ、あっという間に読了してしまったから素晴らしい。

 なんなんだこれは! と驚いたのは、多くの「お仕事小説」がその仕事の面白さを語ることに対して(いろいろ紆余曲折はあるにしても、結局はそこに行き着くことが多い)、仕事よりも私生活を大事にしろ、と強く主張してきたからだ。ようするに、プライベート充実宣言だ。仕事も大事ではあるけれど、私生活を犠牲にしてまですることはない――というのがこのヒロイン東山結衣の、そして作品のテーマなのである。これは実に新鮮であった。結衣の勤めるネットヒーローズ株式会社の社長灰原忍の言葉がラスト近くに出てくるので、これも引いておく。

「会社だけの人間になるな。人生を楽しめ。色んな人に会え。世界を広げろ。そういう積み重ねが良い仕事をつくる」

 この灰原がラストで、取引先に乗り込んで啖呵を切る場面は感動的だ。つまり朱野帰子は「お仕事小説」が流行っている世間のど真ん中に、会社が先にあるのではなく自分が先にあるのだ、というメッセージを投げ込んだのである。ひらたく言えば、自分の人生は自分で決める、ということだ。

 もちろんそれは、言うは易く行うは難し。仕事は待ったなしで押し寄せてくるから、上海飯店のハッピーアワー(6時半までに注文するとビールが半額になる)に間に合うように退社すると、他の同僚や部下は面白くないのか、冷たい目で見てくるし、誹謗と中傷にもさらされる。「定時で帰る」というのは、楽なことではない。それはまさしく、戦いなのである。さらに、東山結衣の悩みは、自分だけが、定時で帰ればいいのか、ということだ。みんながそういうふうにならなければダメなのではないか――ということで、無理解な上司、横暴な取り引き先などとの戦いが始まっていく。それを描いたのが本書『わたし、定時で帰ります。ハイパー』だ。

 この続編が面白いのは、たとえば甘露寺勝だ。この新人、なんと会社に来ないのである。データ解析などの特殊な能力を持つ人間なら新人でも年俸1000万、勤務時間の上限は1日3時間、という特別な待遇が認められるが、この甘露寺、自分で大型ルーキーと言っているだけで何の実績も持たない。それなのに毎朝、結衣がモーニングコールしなければ起きないから、教育係を命じられた結衣は頭が痛い。

 定時で帰る結衣は、そのために生産性を高めているが、この若者は権利を主張するだけなのである。そういう新たな層とも結衣は戦わなければならない。もっとも甘露寺はラストできちんと活躍するから、捨てたものではない。

 さらに、社長の灰原はホワイト化をすすめていても、サービス残業は当たり前という考えの昔流の重役たちも多く、裁量労働制を導入する動きもある。灰原がそれを止めるためには、「定時で帰る」結衣のチームが売り上げをあげて実績を示すことが必要になる。そのために企業の広告塔にもなっている結衣を早く帰し、元婚約者の種田晃太郎がほとんど会社に泊まりこんで仕事をすることになる。なんだか本末転倒で、ヘンな事態になるのだ。これではたしていいんだろうか。問題は山積みなのだ。

 前作に引き続き、個性豊かな脇役たちが次々に登場し、現代ビジネス最前線の、笑いと涙と感動のドラマが繰り広げられる。酒好きで食いしん坊で、しかも恋愛偏差値の低いヒロインが、定時で帰るための戦いに勝つことは本当に可能なんだろうか。そして恋の行方はどうなるのか。それらが気になる人は急いで本書を読め。

新潮社 波
2019年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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