『天皇の憂鬱』
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天皇陛下の心に秘められた思い
[レビュアー] 奥野修司(ノンフィクション作家)
もうすぐ私は三代を生きることになる。昭和、平成、そして未だ知らずの御代(みよ)だ。私が幼い頃にはまだ明治生まれの人はたくさんいて、なんだか骨董品のように見えたものだ。自分もまさかそんな大先輩と同じだけ生きるとは思ってもみなかったのに、そのまさかが現実になった。でも、長く生きることは、悪いことばかりではない。見えなかったものがよく見えてくる。『天皇の憂鬱』も、そんなことを思いつつ書かせていただいた。
本書は、平成の御代が変わるからと、慌(あわ)てて書いたわけではない。昭和から平成になった時から「おやっ」と思ったことを、一人の国民の視点から取材をしてきたものだ。
とりわけ昭和生まれの私を驚かせたのは、天皇陛下が一般人である被災者の前で跪(ひざまず)かれたことだ。なぜ跪かれたのか。私には不思議でしかたがなかった。あるいは、日本が戦争に負けたとき、天皇は、皇后はどうされていたのか。御用邸があるわけでもないのに、なぜ毎年夏になると軽井沢に行かれるのか。「生前退位」は天皇の“終活”ではないのか……。天皇は生まれながらに天皇だが、象徴天皇はならんとしてなるものであることを考えれば、これらの疑問はいずれも平成の天皇が築きあげた象徴天皇像に繋(つな)がってくる。
取材とは、一次情報に近づけるかどうかがカギになるが、天皇に関してはまず不可能だ。こちらから質問できないからである。そうなると、できるだけ天皇皇后のおそばにいる方に聞くしかない。つまり侍従長や侍従職、ご学友などだが、この方たちからどれだけ話を聞けるか、にかかっている。
たとえば、天皇皇后の御成婚に関しては、たまたま私が、戦前から正田(しょうだ)家に仕えていた方と知り合ったことがきっかけだった。その人物とは二十年近い交流だったのに、両陛下についてひと言も語ったことがなかった。それが死期を悟られたのか、亡くなる数年前に呼ばれ、「聞きたいことがあったら……」と言われた。ずいぶん昔に「(美智子)妃殿下の母娘の絆について聞かせてほしい」と尋(たず)ねたことを覚えていたのだろうか。こうして書き上げたのが「なぜ恋愛は成就されたのか――美智子妃、密会のとき」である。
本書は、いずれも雑誌で発表したものに大幅な加筆を施したものである。ただ、パーツだけでは見えなかった全体像が、組み合わさることで見えることがあるように、雑誌に書いた時には見えなかったことだが、こうして一冊の本になることで鮮やかに浮かび上がってくるものがある。
たとえば、天皇は象徴天皇にならんとして、すでに皇太子時代から努力をされていたことがわかったのもその一つだ。だが、その象徴天皇像が完璧すぎたゆえに、新天皇も宮内庁もむずかしい判断を迫られることになるとは皮肉である。