子育て、結婚生活、青春など、老若男女それぞれの息苦しさと救いを描く寺地はるな最新作

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夜が暗いとはかぎらない

『夜が暗いとはかぎらない』

著者
寺地, はるな, 1977-
出版社
ポプラ社
ISBN
9784591162743
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

この世界を愛おしむ物語

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 二〇一四年、寺地はるながポプラ社小説新人賞に応募した『ビオレタ』を選考委員として読んだとき、「ああ、これ好きだなあ」としみじみ感じたのを覚えている。あまりに好きで、講評用紙に技術的な評価をあれこれ書いた後、最後に「この人がデビューしたら、私、ファンになる」と選考とは無関係な一言を添えた。
 その宣言どおりに私は寺地作品を追い続け、今も「やっぱり好きだなあ」としみじみしているのだ。

 文章が上手い人やキャラクターの造形に優れた人、話運びに長けた人は大勢いる。だが寺地作品の魅力はそういった個別の技術にとどまらず、それらすべてでもって作り上げる〈世界への慈しみ〉にある。決して派手な物語ではない、普通の人々が暮らす普通の日々。その日常が持つ優しさやあたたかさ、あるいは冷たさや残酷さ。そんな世界で私たちは生きているという、そのことに対しての慈しみ。それが物語から伝わってくるのだ。これはもう、技術ではなくセンスの賜物だろう。
 寺地の描く〈世界への慈しみ〉は、これはもう読んでいただくのがいちばん早い、というか読んで貰わねばわからないのだが、それで終わると書評家として責任放棄のような気がしないでもない。そこで『夜が暗いとは限らない』である。これだ、と思った。寺地はるなの〈世界〉の粋を味わうには格好の作品なのである。

 本書はこれまでの寺地作品とは大きく構成が異なる。二十ページほどの短い物語が多く収められた短編集であり、各々独立した話ではあるもののすべてが同じ町を舞台にしたゆるいつながりを持つ連作であり、さらに全体が三部構成になっているという凝った作りだ。
 舞台となる暁町は、本文の言葉を借りれば〈大阪市内にほど近い、人口十万ほどの市の、そのはじっこのあたりに〉あり、〈都会というわけでもない、さりとてのんびりしているというわけでもない、なんとなく雑多な感じのする〉町である。この町に暮らすさまざまな人を取り上げ、その人物の悩みや日々の出来事を描いたものだ。

 まず、個々の短編がどれもとてもいい。
 社会人の息子との関係がギクシャクしていることに悩む母親、幼稚園に通う自分の娘が「ちゃんとしてない」ことに苛立つ若い母親、妻とうまくいってないところに会社の女性からアプローチされた男性、女と別れて気弱な友人のところに無理やり転がり込んだ青年、父の葬式に振袖を着ると言い出した姉に戸惑う弟、雪の朝に来ないバスをあきらめて会社まで歩くことにしたふたり、言葉の遅い孫息子とナーバスな嫁を心配する祖母、同性の友人に抱いた友情とも恋とも違う感情を持て余す青年、ピアノの練習をさぼっている少女……これでもまだごく一部である。
 いろいろな環境にある老若男女を主人公に、彼らそれぞれが感じている息苦しさを描き出す。その息苦しさの形もさまざまだ。気が弱くてうまく話せなかったり、周囲からのプレッシャーに潰されそうになっていたり、他人と比べて自分を責めたり、逆に虚勢を張って強がったり。読者はきっと、どこかに自分の姿を見つけるはずだ。
 寺地はるなは、そんな多くの〈あなた〉に向けて、ほのかな救いを描く。ときにはそれでいいんだと寄り添い、ときには一歩を踏み出せと背中を叩く。劇的に何かが変化するわけではなくても、自分にとっていちばん大事なもの、いちばんブレてはいけないものを主人公に思い出させる。普通の人々に対する慈しみの物語だ。
 だが本書の本領はその先にある。すべての物語がゆるくつながっている、と先ほど書いた。つなげている要素はふたつあって、ひとつは暁町の市場のマスコット、「あかつきん」の着ぐるみ失踪事件だ。最初の一話で行方がわからなくなった「あかつきん」は、その後、他の物語の中でときどき目撃される。しかも、着ぐるみでゴミを拾ったり酔っ払いを介抱したりという〈善行〉を積んでいるのだ。これはいったい何だ?

 もうひとつのつながりは、登場人物だ。ある作品では悩みに押し潰されそうになっていた主人公が、別の物語にちらりと出てきて、その話の主人公とすれ違ったりする。連作の手法としては目新しいものではないが、本書はそこにある特別な思いが込められている。
 それが何かは、第二部に収められた「バビルサの船出」と第三部「夜が暗いとはかぎらない」(第三部はこの一編のみ)を読まれたい。独立した短編として充分に完成度の高い物語を、敢えてつなげたこの趣向の意味が、そこにある。この物語は連作という形をとることで、人は誰かの人生の一部になることでその人を救うことがある、という連鎖を描いているのである。

 思えば、このテーマは『ビオレタ』以来、ずっと寺地はるなが書き続けてきたことかもしれない。この世には強い人もいれば弱い人もいる。優しい人もいれば気の回らない人もいる。けれどいろんな人がいるからこそ、きっと、誰もが誰かを救うことができるのだ。たとえ自分でそのことに気づかなかったとしても。
 本書は個人に対する救いの物語であると同時に、それらの集合体であるこの世界を愛おしむ物語だ。そしてこの物語を読むことで、読者もまた、その連鎖のひとつになる。
 連作短編なので、初めて寺地作品を読む人も入りやすいはずだ。ぜひこの豊穣な世界を味わっていただきたい。

ポプラ社
2019年4月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

ポプラ社

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