認知できない時間感覚を描く期待の米作家が挑んだ“迷宮”
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
ドン・デリーロは時間へのこだわりが強い作家だ。9・11の事件を扱った『墜ちてゆく男』では現在と過去の記憶が絶えず比重を変えるさまを描きだした。人には意識の力で認知できる領域とそうでない領域があり、その狭間で揺らぐのが人間だという主張がそこには込められていた。
『ポイント・オメガ』ではさらに進んで人の意識が及ばない地点に時間を引き伸ばしていく。ふたつの場所が登場する。ひとつはニューヨークの美術館の一室。もうひとつはサンディエゴ郊外の砂漠にある家だ。壁に区切られた閉所と、広大な土地にぽつんとある家屋という設定は対照的だが、それぞれの場で体感する時間の質は共通している。日常で感じるのとはまるで異なる時間感覚に引き込まれるのだ。
展示室ではヒッチコックの名画「サイコ」が上映されているが、通常は一秒間に二十四コマ進むところが二コマに減速され、動作は超スローモーションになっている。物語は解体され、映画の内容とは別の現実が立ち上がる。
かたや砂漠の家には「眺望も見晴らしもなく、ただ隔たりだけ」があり、視覚で認識できる要素はない。時間は意識されず、朝も午後もない「継ぎ目のない一日」がつづいていく。
映画作家の「私」はここにイラク戦争のブレーンだった高齢の学者エルスターの映画を撮るためにやってきた。だが、二三日の予定が数週間たっても撮影ははじまらない。
エルスターは世の価値観に超然とした態度を貫き、戦争への責任を回避する。人の知性や感情は物質が変化してできたが、「そんなものはもうやめにするころだ」「我々は元の無機物に還りたいんだ」とすら言う。
しかしこの虚無思想は娘ジェシーへの愛情の前には無力だ。彼女が謎の失踪をとげると彼は茫然自失の体となる。「無機物」にもどるのは口で言うほど容易ではないのだ。