社(やしろ)をもたない神々 神崎宣武(かんざき・のりたけ)著
[レビュアー] 川村邦光(民俗・宗教学者)
◆鏡餅をめがけて降りる歳神
著者は現役の神主である。古神道の祭式を伝承してきた最後の世代だと言い、民俗研究を踏まえて、神々の世界、とりわけ社をもたない神々と人々の交流する世界を、淡々と、時には熱く語っている。
まず正月から語り始める。正月にこそ、神々の古層が潜んでいることがわかる。神々の世界の根底になっているのは、歳神(としがみ)、歳徳神(としとくしん)、お正月様などと呼ばれる、正月に訪れる神である。大みそかの晩は歳神を迎えるために、どこにも出かけないで、お籠(こも)りをしなければならない。歳神は歳を授ける。それが「歳魂(としだま)」、つまりお年玉であり、餅によって表象される。玉は魂であり、餅を腹の中に入れることが、新しい魂を授与されて生命を更新することになる。
この歳神は社に祀(まつ)られているわけではない。どこにいるのか。山のほうから、門松や鏡餅を目印、依代(よりしろ)にして降りてくる。すると、山の神か。山の神は田植えの頃に里に降りてきて、田の神になるとされる。山から水が流れ、田畑を潤し、飲み水にもなり、海へ注いでいくように、山の神は水の神や井戸の神、海の神ともなる。
また、祖霊は山中に住むとされ、いずれも歳神と「同類」のカミである。そして、集落の境や峠にも神々が祀られる。山頂、山腹、山麓、開墾地へと神々のネットワークは張り巡らされていった。
霊山、巨木、巨岩が信仰を集め、山の神や田の神、塞(さい)の神、道祖神(どうそじん)、産神(うぶがみ)、地神(じがみ)、産土神(うぶすながみ)などの神々が、時と場合に応じて、人々の要請もしくは祈願に応えている。自然の中にあって自由に往来する、社をもたない神々である。しかし、著者が「多くの伝統的な生活が激変した」と嘆息混じりに記すように、高度成長期以降、これらの神々は祀られることが少なくなり、忘れ去られようとしている。
こうしたアニミズム(自然信仰)の世界を生み出してきた遠い先祖に思いを馳(は)せ、ゆったりとした時を大切にすることが今求められている、と著者は説く。本書は社のない神々への挽歌(ばんか)ではなく、警世の書として読み継がれよう。
(角川選書・1836円)
1944年生まれ。民俗学者。著書『酒の日本文化』『江戸の旅文化』など。
◆もう1冊
谷川健一著『日本の神々』(岩波新書)。記紀以前のカミと人々の暮らしに迫る。