『絵師の魂 渓斎英泉』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
絵師の魂 渓斎英泉(けいさい・えいせん) 増田晶文(まさふみ)著
[レビュアー] 日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)
◆渡る浮世 野心と迷いと
渓斎英泉は、十九世紀前半、美人画のジャンルで一世を風靡(ふうび)した浮世絵師である。英泉が描く女性たちは、つり上がった目に、受け口ぎみの唇を少し開いた色っぽい表情が特徴的で、しばしば妖艶とも退廃的とも評されてきた。一般的な知名度はそれほど高くはないが、古くから根強いファンが多い。
だがその妖艶な美人画以上に、英泉という人物の生涯はなかなかに興味深い。もともとは武家の生まれだったのだが、若くして両親を亡くした上に、主家(しゅか)を追われてしまう。三人の幼い妹たちを養うために浮世絵師の道を志し、独自の艶やかな美人画で一躍スターとなった。葛飾北斎(かつしかほくさい)の作風を慕い、戯作者(げさくしゃ)の曲亭馬琴(きょくていばきん)とも親しく交わる一方、放蕩(ほうとう)無頼の生活を送ることも多く、根津で遊女屋を営んでいたという時期もある。
本書は、そんな英泉の半生、特に三十代から四十代にかけての時期を中心に描写している。目鼻立ちが整い、背もすらりと高く、たくさんの女性たちにも慕われていた遊び人の英泉。亡き義母への思慕が秘められた、色気あふれる美人画で確固たる地位を築き、深く敬愛する北斎を追い抜いてやろうという野心も抱く。しかしその一方、猥雑(わいざつ)な春画で著名になってしまったが故に、かつての武家の仲間たちから正当な評価を受けず、不安な気持ちに苛(さいな)まれてしまう。さらに、素行の悪い妹が面倒を引き起こしたり、貸した金が持ち逃げされたりするなど、さまざまな災難が次々と襲いかかり続け、浮世絵師としての自分の才能にも迷いが生じていく…。
本書で描かれている英泉の人物像は、放蕩暮らしを楽しむ変わり者でもなければ、飄々(ひょうひょう)とした天才肌でもない。常に自信と不安に心を揺り動かされながら、絵師としての生き方にもがき苦しむ、実直で悩み多き等身大の男の姿である。本書を読み終えた後、英泉の浮世絵、さらには我々がよく知っている北斎や広重の浮世絵を改めて眺めてもらいたい。その裏に隠された英泉の情熱や葛藤を、きっと感じとることになるだろう。
(草思社・1944円)
1960年生まれ。作家。著書『稀代(きだい)の本屋 蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)』『ジョーの夢』など。
◆もう1冊
朝井まかて著『眩(くらら)』(新潮文庫)。北斎の娘である絵師の生涯。