遍路修行という巨大回路の形を借りて、人間の心の深部を描く情念の小説

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いきぢごく

『いきぢごく』

著者
宇佐美まこと [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413343
発売日
2019/03/13
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

遍路修行という巨大回路の形を借りて、人間の心の深部を描く情念の小説

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

日本という国の中で唯一四国のみが巨大な回路を有している。

八十八の霊場を巡るお遍路である。千二百キロにも達するという行程を、弘法大師と同行二人で結願を目指す。志を持ってそこに足を踏み入れた者は、四国の地全体を舞台にした宗教儀式の一部になるのである。

この回路の存在理由は仏教者が修行を完成させることにある。だが、一切の煩悩から解放され、解脱の境地に至りたいというのはいかなる心の在り様なのだろうか。そうまでして捨てたい我が身、我が心とはいったい何なのだろうか。

さらに言うならば、我が身、我が心がそんなにも憎いのか。怖いのか。

宇佐美まこと『いきぢごく』は、遍路修行という巨大回路の形を借りて、人間の心の深部を描く情念の小説だ。聖なるものから照射される光が、邪なもの、理性では御することのできない妄念の所在を浮かび上がらせるのである。全体が四章に分かたれているのは、遍路の道場としては異なる意味を持つ四つの国、阿波、土佐、伊予、讃岐にそれぞれが重ねられているからだろう。たとえば阿波は発心、始まりの地であり、続く土佐は厳しい自然を前提とした修練の場である、というように。

主人公の竹内鞠子は、四十代に足を踏み入れた女性だ。友人の白川真澄と共に起業した旅行代理店は、既存の他社が思いつかないような企画を次々に打ち出すことで好評を博してきた。すでに一族と言える者は彼女と姉の亜弥だけになっているが、竹内の本家はかつて四国の松山で遍路宿を営んでいた。五十二番札所太山寺の門前で金亀屋という看板を出していたのである。今は誰も住む者がなく、鞠子たち姉妹も地元の人に管理を任せきりにしている。その古民家が、物語の後半では重要な舞台となってくるのである。

小説の本文は、鞠子ではない人物がしたためた手記から始められている。後にリヨという名であることが判明するその女性は、我が身の罪を背負いながら遍路の一番札所である霊山寺にやって来たのだという。リヨの語りと鞠子の日常とが並行する形で小説の叙述はしばらく進行していく。やがて手記の存在に気づいた鞠子はその文章に深く引き込まれる。記された日付からすると昭和十五年の出来事である。自分とは縁もゆかりもない他人の行為になぜそこまで惹きつけられるのかわからないと自嘲はするものの、鞠子は本当は理由に気づいている。狂おしいほどに捨身への願望を抱いているリヨに、心を射抜かれてしまったのである。なぜならば、鞠子も我が身、我が心に恐れを抱いているからだ。

理性ではなく情念が支配する領域のことを書いた小説である。鞠子は、姉の縁故で旅行代理店に雇い入れた青年、一回り近くも歳下の南雲絋太と関係を持ち続けている。絋太は二人の間柄を不変のものとしようとして結婚指輪を渡そうとするが、鞠子はそれを断る。?ぎとめられるつもりはないのだ。白川真澄は共同経営者と部下との情事に気づいており、鞠子のそうした放恣な姿勢に嫌悪感を抱いている。しかし、有能な彼女を指弾することまではしないのである。この小説の登場人物たちはみな、真澄のように物分かりがよく見える。合理的に行動し、互いの立場を慮って距離を取る。だが、彼らは気づいていないのである。そうした理性の光では見通すことのできない深淵、情念のみの澱む場所から湧き上がってくるものがあるということを。鞠子がめくり続ける手記の書き手だけがそのことに自覚的であり、心の奥底が永遠に昏いままであることをひたすら訴えかけてくる。構成の妙と言うべきだろう。

読み手の官能を強く刺激する作品であるということも書いておいたほうがいいだろう。作者に感心したのは、鞠子が歳下の絋太に惹かれた理由を、元ピアニストの美しい指を持っているからとしたことだ。その指に触れられる悦びが肉感的に描かれる。実はその愉悦は、鞠子にとって過去の封印された想い出に?がるものでもあるのだ。禁忌の記憶が、彼女を巻きこむ悲劇への導線になる。単に理詰めで筋を追わせるのではなく、五感の表現を駆使して作中へと読者を惹きこもうとする作者の語りには抵抗しがたい魅力がある。情念を描いた小説の叙述としてもふさわしいものだ。

ミステリー的な展開があり、最後で理に落ちる部分があるのだが、蛇足と感じる読者もいるのではないだろうか。鞠子が絡めとられる世界は背徳の魅惑に満ちており、そこに自分も身を委ねて内なる声をいつまでも聴いていたいという気持ちにさせられる。恐ろし、と目を背けていた本当の我が姿が、物語の向こうに見えるような気さえするのである。

角川春樹事務所 ランティエ
2019年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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