『真実の航跡』
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日本人による捕虜殺害事件と、BC級戦犯裁判をいま描きたかったワケ 歴史小説家が語る
[文] コルク
戦犯裁判を勝者が裁いていいのか
【伊東】
少し話を戻して、「戦犯裁判」の難しさについても語っていきたいのですが、本書を執筆するにあたり、戦犯裁判についての資料や専門書を乱読しました。
その中でも、英国の戦犯裁判について書かれた『裁かれた戦争犯罪―イギリスの対日戦犯裁判』(林博史著、岩波人文書セレクション)には助けられました。
また半藤一利・秦郁彦・保坂正康・井上亮による座談会本の『「BC級裁判」を読む』(日本経済新聞出版社)や、NHKスペシャル取材班による『日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦』(新潮社)も大変参考になりました。一言で言うと、戦犯裁判というのは不思議としか言えないものですね。
【樋口】
いまだに自分も中で「あれ(戦犯裁判)はなんだったんだ」というのがありまして。
まさしく法の正義の部分ですね。
僕は戦犯裁判を行うこと自体には肯定的です。ただし、それを勝者が裁いていいのかという問題があります。
勝者が敗者を一方的に裁くことによって、真相が歪められていくのが嫌なんです。
確かに勝者が強権をもって裁くしかないという一面はあります。組織犯罪なわけですから。しかし組織というものには上下関係があり、命令があります。軍隊のような堅固な組織においては、命令されて「嫌だ」と言っていたら、軍隊としての根幹が揺らぐわけです。
特に当時の日本軍のような軍隊では、私が乾の立場だとしたら一も二もなくやると思いますよ。しかし戦犯裁判では、残虐行為の命令に対して抗命した痕跡がない限り、実行者が戦犯とされるんです。これでは軍隊組織は崩壊します。
生きるか死ぬかの瀬戸際で抗命できますか。しかしそうなると、すべての責任は命令者に帰結されます。
命令者をたどっていくと、軍令部総長や連合艦隊司令長官になります。しかし彼らは大筋の命令を下すだけで、個々の現場のことは指揮官に任せます。つまりこうした組織的な構造により、いつの間にか、責任の所在が不明瞭になっていくんです。
【伊東】
実に難しい問題ですね。そうした軍隊特有の矛盾を抱えながら裁判するんですから、たいへんです。
しかも戦後すぐは、戦勝国の復讐感情が凄くて、とにかく日本人の誰かを血祭りに挙げなければ気が済まないといった状況です。
また連合国側としては、無差別爆撃や原爆投下を正当化するためにも、「悪辣な大日本帝国」というイメージをイメージのままでなく、法的に決定づける必要がありました。確かに日本軍も、マレー半島などでは相当悪いことをやってきましたが、戦犯裁判は無茶苦茶です。連合国軍側こそ思い出したくないものでしょうね。ただそこには、命令絶対主義の日本軍と、それだけではない欧米諸国の軍隊の微妙な違いがあるんですよね。
【樋口】
そうです。軍隊の文化の違いっていえば分かりやすいかもしれません。つまり軍隊は本来、命令が絶対というよりも任務が絶対なんです。
託された任務が達成できるなら、上位者の命令すべてに服さなくても構わないという風土があります。軍隊組織が日本に導入された時、「上官の命令は絶対」というのを、長きにわたる封建主義の伝統から、日本人はよく理解できたのですが、「任務を達成できるなら、必ずしも命令に従う必要はない」というニュアンスが伝わらなかった。というか理解できなかったんでしょうね。
例えば「ある地域を安定化させろ」っていう任務が与えられた時、それを短絡的に実行するのが日本軍。何とか知恵をめぐらせて任務だけを達成しようとするのが欧米の軍隊、という違いがあるような気がします。
無論、一概には言えませんけれど。
【伊東】
それこそ任務達成のために、命令を拡大解釈してますよね。
【樋口】
してますね。
一方でやっぱりそうせざるを得なかったのかっていうか……。そこはケースバイケースなので一概には言えませんが。本書の場合、ちょうどそれに当てはまりますよね。
命令は当然上から出ているけれど、そこは「うまくやってよ」というニュアンスがある。しかし乾には、その微妙な空気が読めない。僕は乾に同情的なんですけど、その反面で、「お前みたいに空気の読めないな奴がいるから、こんなことが起きたんだ」という思いもあります。
「やっている人もいれば、やらざるを得なかった人もいる」
【伊東】
戦犯裁判の難しさは、実際に犯罪行為をしている将兵もいれば、嫌々やらされた人もいて、また全く冤罪の人もいることです。
日本では『私は貝になりたい』という映画の影響が大きくて、誰も彼もが冤罪で裁かれたというイメージですが、完全に戦争犯罪をしているケースもあります。例えば人肉を食らった某少佐がいます。彼は「度胸を付けるため」という理由で、食糧難でもないのに、米兵の人肉を焼いて食べてる。それを部下にも食うよう命じている。
いわゆるサイコパスです。
【樋口】
はい、父島事件ですね。
【伊東】
難しいのは、食いたくもない人肉を、上官に命じられたから食ったという人もいれば、食料のない島で食うものがなくなり、仕方なく食ったっていう人もいます。そこの線引きが難しい。
【樋口】
戦犯裁判で難しいのはグレーゾーンが大きすぎるってとこですよね。
【伊東】
そうですね。確信犯もいれば、命じられてやらざるを得なかった人もいる。
仕方なくやった人もいれば、全くやっていないのに被告席に座らされた人もいます。
それだけでなく、証言者となるべきキーパーソンが戦死、病死、脱走しているケースが実に多い。とくに脱走は多くて、ほとぼりが冷めるまで、日本国中の山々に、どれだけの人たちが隠れていたか想像もできません。
【樋口】
確かに、戦争が終わって、軍隊が無くなって戦犯になるかもしれないっていうことが分かった時点で逃げますよね。
【伊東】
そうなんです。そのために捕まった人の証言者がおらず、処刑された人もいます。
とくに戦犯裁判は、被害者となった人の証言は取り上げる反面、加害者となった日本側の証言は「疑わしい」という理由で取り上げてくれません。
それが勝者の裁判というものなんですけどね。
【樋口】
果たしてそこに法の正義があるのかっていう部分なんですよね。
恣意的なんじゃないかっていう。
【伊東】
今の裁判だったら全部無罪にできますね。
ところが戦後すぐにやっているので、連合国の憎悪の感情がすごいんです。
それゆえ戦犯裁判は、欧米の人たちも思い出したくない事実だと思うんですよ。だから欧米では話題にも出ない。
戦争のことを理解していない人は、「日本が悪いんだから、裁かれて当たり前」と考えますが、戦争は外交で行き詰った末の一つの選択肢です。その論理からすれば、法の正義は生きていなければいけないわけです。
【樋口】
特に英連邦の憎しみが強いですね。
イギリスの戦犯裁判ていうのは、実は裁いた方のイギリス人たちにも傷を残してるんです。『なんであんなことをしちゃったんだろう』っていう。
【伊東】
しかし史実は史実です。彼らもそれに向き合わねばならない時が来ていると思います。
とくに英国の若い人たちは、チャンギ―刑務所でのリンチ虐殺事件と一連の無法な裁判のことを知ってほしいと思います。