「考える患者」の欺瞞なき闘病記
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
NHK山口放送局長としての単身赴任生活を、急な辞令で終えた。10分きざみの挨拶まわり、ごみ処理まで後輩に丸投げの引越し。東京で、編成局の総合テレビ編集長という肩書を得てまもなく、激しい腹痛に襲われた。黄疸を指摘され、まず思ったのは「仕事が休めてラッキー」だった。
坂井律子『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』を読む。NHKに限らないだろうが、マッチョ主義の職場は人間を壊すなあと、ハラハラする。
黄疸の原因は膵臓がんだった。心の準備もなにもないままに、つらい治療へとまっしぐら。
闘病記は、支えてくれる医療者や家族に感謝し、自分の存在をゆだねる態度で書かれるのがふつうだ。それは立派ではあるが、病者が当然もつ不安や恐怖、嫉妬や苛立ちを、きれいごとが覆いかくしてしまう。でもこの本にはそういう欺瞞を感じなかった。医療情報の収集、転院交渉、友人知人への情報公開と発信のしかた。著者がこれまで仕事で培ってきた実力をそのまま闘病にぶつけている。アスリートを見る思いで読みすすめた。
がんとの戦いに「正解」はない。しかし、正解を探して医師が戦ってくれるなら、患者も「考える患者」にならなくては。著者はそんな決意から、古今東西の本を読みあさり、生きるための言葉を見つけていく。そこからがこの本の読みどころだ。見ず知らずのわたしでも、著者の心の旅に伴走することはできる。