名前の由来がなんとも粋な“詩壇の芥川賞”「H氏賞」の魅力〈トヨザキ社長のヤツザキ文学賞〉

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忘失について

『忘失について』

著者
水下, 暢也
出版社
思潮社
ISBN
9784783736400
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

名前の由来がなんとも粋な“詩壇の芥川賞”「H氏賞」の魅力

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 長年文学賞ウォッチングを続けているトヨザキが一番好きな賞の名称は、日本現代詩人会が主催する「H氏賞」。優れた新人詩人の詩集に与えられ、「詩壇の芥川賞」とも呼ばれています。

 賞設立に至るストーリーも好き。一九五○年、旧知の仲であった二人の詩人、村野四郎と平澤貞二郎が新橋から銀座へと向かう雑踏で再会。当時、興した事業が好調だった平澤が、現代詩人会を創設したばかりの村野から資金面の苦労を聞かされ、匿名を条件に援助を申し出るんです。こうして、当時としては大金の一万円を毎年継続的に寄付してもらうことになり、HIRASAWAの頭文字Hを冠した「現代詩人会賞H氏賞」を創設することに決まったとのこと。なんとも粋じゃありませんか。

 選考は毎春、前年一月一日から十二月三十一日の間に刊行された新人の全詩集を対象に行われ、会員による投票と選考委員会の推薦により決定。受賞者には記念品と賞金五十万円が贈られます。受賞作発表後、ノミネート作品や得票数といった経緯を、日本現代詩人会のサイトで明らかにする公明性も素晴らしい!

 一九五一年の第一回からこれまでの受賞者には、黒田三郎、富岡多惠子、入沢康夫、鈴木志郎康、石垣りん、白石かずこ、荒川洋治、ねじめ正一、高柳誠、井坂洋子、片岡直子、田原(ティアン・ユアン)といった、現代詩に不案内なわたしでも知っている名前がずらり。その顔ぶれに加わる第六十九回受賞者&受賞作が、水下暢也(三十四歳)の『忘失について』です。

〈ゆびを屈して/川音の幾つ毀たれたかを/数えては/川面(かわつら)に映じた/赤い実が/冱てるように/色沢を抜かれ/六つにきたところ/川の呼吸が広がり/倒影も/おぼろの形に/融けだして/欄干の間から/南天を放り/十(とお)まで数えきり/さかしまに流れるのを/詩集のはじめとする〉(「十七」)という宣言詩から始まり、二十九作を収録。

 説明というくびきから逃れえない不様な散文に対し、どこまでも自由に言葉やイメージと遊ぶことができるのが詩。H氏賞受賞作で、その魅力の一端に触れてみてはいかがでしょう。

新潮社 週刊新潮
2019年4月18日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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