この小説は、アートです
[レビュアー] はるな檸檬(漫画家)
今村夏子さんの「こちらあみ子」を読んだ時の衝撃は忘れられない。うわあ、と思った。新世界を見たぞ、と思った。
漫画を描いていてよく聞く言説に「物語のパターンなんてもう出尽くしている、自分たちの作るものは所詮過去の名作をなぞった模倣品さ」みたいな、諦めと自嘲の混ざったようなものがある。
噓つけ!! と思った。「こちらあみ子」を読み終えて私の頭にまず浮かんだのは「噓つけ!!」だった。ほれ見ろ、ここに、まだどこにもない物語がある。私たちが思っている以上に、世界にはまだ名前のついていないものがたくさんある。今村さんが軽々と、その名前のないものを、誰も見たことのない角度から見せてくれている。どうだ!! 諦めてる場合じゃねえぞ!! まだ表現されていないもの、いっぱいあんぞ!! それは胸おどる体験だった。
今村さんの新作が出たのでレビューを書きませんか、と言われて二つ返事でお受けした。ただもうめちゃくちゃに読みたかったから。
読み終えて、私は猛烈に反省した。全ての短編が、全く予想しない着地をしたからだ。私の中に強烈に、「こうきたら、次はこうですよね」という思い込みがあることを実感したのだった。今村さんの書くものはそんな、つまらない思い込み、先入観、判断を吹き飛ばし、淡々と読み手を振り回しながらものすごいグルーヴ感でドスン! と突然着地する。
ああ待ってくれ、これを受け止める言葉をまだ知らない、と戸惑っている読者を、今村さんは静かに、何の期待も込めない目で見ている。いや、見てすらいないのかもしれない。ただ、彼女は書いている。何ものにもとらわれずに。
ここに出てくる人間たちは、噓をついたり、盗んだり、何かにものすごく執着してみたり、思い込みにとらわれたりしている。だけど、そういう登場人物を、噓つきだ! とか、泥棒だ! とか断罪することに意味なんかない。そういった価値観の外側を描いているからだ。私たちが普段、これは正しいとか、これが常識だとか、判断し続けて、価値観の柵を立て、その中に自らを閉じ込めていることがあぶり出されているからだ。その柵の中だけを世界だと信じていたのに、この小説が、その外側に世界が、柵の外にこそ広大な世界が広がっていることをまざまざと見せつけてくる。私たちが見ないできたもの、無視してきたもの、切り捨てたもの、知らないふりをしていたもの、そういったものをひとつひとつ拾い上げて、だからといって何かを訴える訳でもなく、淡々とそれらを描写する今村さんの筆致は狂っていて、可笑しい。最高だ。物語にはまだいくらでもやりようがある。なんてこった!
今村さんの小説を読むことは、まるで現代アートを鑑賞するようなものだ、と思う。自分たちの価値観そのものを疑わせるような作品。足元が根底から覆るような体験。
無意識に柵を立てては簡単にとらわれてしまう私たちの人生に、アートは絶対に必要なのだ。それがなければ、私たちは柵の存在にすら気がつかないままかもしれないのだから。