フェミニズムの大きな渦の中で、不自由であることの自由を含む自由について考え続ける。『ヒョンナムオッパへ』書評/鳥飼茜

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ヒョンナムオッパへ

『ヒョンナムオッパへ』

著者
チョ・ナムジュ他 [著]/斎藤 真理子 [訳]
出版社
白水社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784560096819
発売日
2019/02/21
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

不自由であることの自由を含む自由

[レビュアー] 鳥飼茜(漫画家)

「フェミニズムが辛い。」

 これは男性ではなく、ある友人のお母さんである女性から最近発せられた一言である。

 フェミニズムは女性の不自由からの解放であると、私自身は認識している。最近の#MeTooもその動きのうちの一つで、フェミニズムが私の学生時代よりは身近な論争になったことを確かに肌身に感じている。

 そのことは私たちを自由に導いているだろうか? 我々の挑戦は今、自由であることには不自由である自由をも含むという矛盾に対峙しているように思う。

「韓国フェミニズム小説集」と副題が付けられたこの一冊には、手記的なものからSF、ハードボイルドなミステリーまで、フェミニズムという縦糸で編まれていることを忘れてしまうような多彩さがある。どれもがその糸を絶妙に手繰りながらも、短編小説としての読み応えに十分な作品だった。

 なかでも『82年生まれキム・ジヨン』が話題となったチョ・ナムジュによる表題作「ヒョンナムオッパへ」、「あなたの平和/チェ・ウニョン」、「更年/キム・イソル」の現代劇三作を通してとくに強く感じたのは、自分達の前世代への目線を逸らさない姿勢だ。フェミニズムを語る上で彼岸である男性を描くのは必須だと思うが、これら韓国フェミニズム小説では自分や相手の男性の両親の有り様が、「男性」と同じ以上に語られる。ともすると両親世代、とくに母親たちが女性の解放を目指す上での敵とすら感じられる描写を辞さない率直さは一つの特徴だと思う。

 少し前に日本で大流行りした韓国ドラマでは「敵役としての女」がかなり露悪的に描かれていたけど、この一冊に表される旧世代の女性たちは決して記号的な敵などではなく、いまの私たちと明確に繫がる存在なのである。意識的に辛辣に描かれたその像は社会という外から、家という内から、求められる妻ないし母親像を至極当然として飲み込み奮闘した彼女たちの姿だ。ただ憤懣は消えずに鬱積し、次世代の同性の自由を肯定できないという結果を生む。

 冒頭のお母さんから出た言葉はつまりそういうことだと思う。自分達の人生を否定することは当然苦痛で、歪みは次世代の子供にも伝播する。男性に選択を委ね、自分の意見は尊重されず、家を完璧に守りぬいても褒められることはない、そんな環境でも人間はきっと存在理由を必死で探ろうとする。これで良かった、自分がいて家族は幸せでいられた、すべてがうまくいったのだと信じないで生きられるわけがない。その母の、少しの恨みと表裏一体の幸福を私たちは受け継いで守り続けるのか、新しい幸せに手を伸ばすのか、個人である自分の自由はどこへ向かうのか。この本からだけではなく、私たちはこれからもあらゆる「他人」に目を向け続けなければならないだろう。この大きなフェミニズムの渦の中で考えることをやめれば、渦は「女性を含む全ての人間の尊重と自由を獲得するための革命」とはまるで別の、全く意図していなかった竜巻に形を変えてしまうかもしれないのだ。

河出書房新社 文藝
2019年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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