[本の森 歴史・時代]『奇説無惨絵条々』谷津矢車

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奇説無惨絵条々

『奇説無惨絵条々』

著者
谷津 矢車 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163909844
発売日
2019/02/27
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 歴史・時代]『奇説無惨絵条々』谷津矢車

[レビュアー] 田口幹人(書店人)

 谷津矢車という作家は、すごく難しいことを、何でもないようにさらりとやってのける書き手だ。

『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビューし、『蔦屋』で江戸文化の最先端を創造した版元の蔦屋重三郎を、『曽呂利!』では秀吉を手玉に取った男を、『おもちゃ絵芳藤』では歌川国芳の弟子の絵師を描き、話題作を刊行し続けてきた。最新作『奇説無惨絵条々』(文藝春秋)は、狂言作者・河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)のために、台本のネタを探す新聞の編集人である幾次郎(いくじろう)を通じ、明治20年代前半という時代の過渡期における価値観の移り変わりを描くことで、氏の歴史時代小説とは何か? という問いに向き合った作品だ。

 本書は、江戸時代に起こった事件をモチーフとした五つの短篇が収録されている。江戸時代に唯一島抜けに成功した女性を主人公にした「だらだら祭りの頃に」、雲州松平宗衍(むねのぶ)の奇行を描いた「雲州下屋敷の幽霊」、白子屋お熊の情念の深さを描いた「女の顔」、殿様を狙う猟師を斬るために出合った、仇で繋がる縁を描いた「落合宿の仇討」、見世物小屋一座の智の身の上話を描いた「夢の浮橋」。いずれも江戸の闇と言える陰惨な物語だ。この五つの短篇は、台本のネタを探す幾次郎が、訪ねた古書店の店主から渡された五篇の陰惨な戯作と重なっているのだ。

 約三年に渡り雑誌で発表された五つの短篇を、新たに大きな物語としての短篇を創作して埋め込むことで、入れ子構造の物語形式の短篇集として生まれ変らせたのだ。きっと、氏なら最初の短篇を発表した時からこの構想の下で、それぞれの短篇を創作していたに違いない。もしそうでなかったとしても、そう思わせてくれるのが谷津矢車という作家なのだ。

 本書には、様々なテーマが隠されている。字数の関係上、全てを紹介することは叶わないが、氏の歴史時代小説とは何か? という問いに対する向き合い方についてだけは触れたい。

 作中語られる、物語と歴史という案外区別がつきにくいものについての立ち位置が腑に落ちる。お上が言う風紀紊乱(びんらん)は、演劇改良運動での芸能までにも時代考証を義務付け、世の中にいい加減さを許さない風潮を植えつけさせた。氏は、本書を通じ、そんな価値観の変わり目の明治20年代を舞台に、江戸時代の物語(嘘)を通して、物語(嘘)と事実を切り分けることの必要性を描きたかったのではないだろうか。事実なんて無味乾燥なものであり、時の流れや風向きで事実は大きく変わる。そこに物語(嘘)という形で、時代を越えても変わる事のない普遍的な要素を入れることにより、見えてくる真実があるのだ。

 それこそが、歴史時代小説の意味なのではないだろうか。

 僕は、傑作という言葉を使うのが嫌いだが、ここではあえてその言葉を添えたい。

 本書は傑作だ!

新潮社 小説新潮
2019年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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