内村鑑三…関根清三著

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内村鑑三

『内村鑑三』

著者
関根 清三 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
歴史・地理/伝記
ISBN
9784480016782
発売日
2019/03/12
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

内村鑑三…関根清三著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

 近代の無教会キリスト教を代表する信仰者、内村鑑三の顔は、フリードリヒ・ニーチェに似ている。かつてドイツ文学者、氷上英廣が名著『ニーチェの顔』(岩波新書、一九七六年)の冒頭で指摘したことである。そこで氷上がニーチェの風貌(ふうぼう)の下にあるもう一つの顔を描きだしたのと同じように、関根清三によるこの内村論も、矛盾や唐突な変化にしか見えない思想の展開の奥に、一貫して横たわるものへと迫ってゆく。

 内村は日清戦争のさいにはそれを正義の戦いとして賛美し、日露戦争の開戦前には絶対平和論を唱えて反対した。それは変化する状況にただよりそって態度を転じたのではない。平和の理想と現実認識とのあいだの緊張感を保ち、日露開戦ののちには、非戦論を抱くキリスト教徒自身があえて出征するべきだと説いている。そして復讐(ふくしゅう)心をいましめ、敵に対してはむしろ愛情をむけ、改悛(かいしゅん)させようとする態度を推奨した。

 ニーチェならば、来世における神の裁きが自分の復讐を代行してくれるという期待をそこに見いだし、嘲笑したことだろう。だが関根は、内村がこれを論じるさいの言葉に、みずからの憎悪からの解放をめざす、強い意志を見いだす。そこで内村が旧約聖書の言葉を引用するさい、既存の翻訳に頼らずに自己流の解釈を施し、「否(い)な」の一語を追加しているところから、その含意を読みとくのである。

 実践への強い情熱と、聖書の言葉をめぐる綿密な検討と。みずからが抱える矛盾を自覚しながら、むしろ「巨人的に矛盾ならんのみ」と説いたところに、豊かなユーモア、さらには神の愛に対する絶大な信頼が息づいていると関根は指摘する。

 これまで内村については、弟子たちに対する厳しい態度から、狭量な師として描かれてしまう傾向すらあった。聖書解釈学の蓄積に基づいてテクストを読み解きつつ、その思想の意味を深いところから描き直す、おそるべき本である。

 ◇せきね・せいぞう=1950年生まれ。東大名誉教授(旧約聖書学、倫理学)。著書に『倫理の探索』など。

読売新聞
2019年3月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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