『明るい夜に出かけて』
書籍情報:openBD
上橋菜穂子×佐藤多佳子・対談 「原点」そして「これから」
[文] 新潮社
ファンタジーと青春小説、それぞれのジャンルを代表する作家であるお二人。デビュー作『精霊の木』、山本周五郎賞受賞作『明るい夜に出かけて』が文庫となる機会に、なぜ、「物語」を書き続けるのか──深く語り合っていただきました。
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佐藤 お互いに作家活動を始めて三十年になったわけですが、上橋さんのデビュー作『精霊の木』が文庫になりましたね。読み返したとき、どうでした?
上橋 裸足で逃げたかったです!(笑)十五年前に一度復刊したときにも読んだけれど、三十年経って読み返すと、ああ、この頃の自分は若かったんだな、と、つくづく思いました。
佐藤 でも、それは仕方ないよね。
上橋 まあ、若いからこそ、というところもあるのですけどね。でも、佐藤さんのデビュー作の『サマータイム』は、もう完成してると思うけど。
佐藤 何ていうんだろう、自分と作品との距離の近さが違う。今は技術面で進化したけれど、自分との距離があそこまで生々しくならない。
上橋 私は、もしかしたら逆さまかもしれない。『精霊の木』とか『月の森に、カミよ眠れ』の頃のほうが、真面目に距離を取ってたかも。
佐藤 あっ、そうなのか。
上橋 人に伝える何かがなければという気持ちがあったのかもしれない。それがなければ書いてはいけないのでは、という青臭い義務感みたいなものが透けて見えて、今読み返すとめちゃくちゃ恥ずかしい。
佐藤 自分でそれだけ変化は感じる?
上橋 やはり、フィールドワークを長年やったことで物の観方が大きく変わったんでしょうね。既成の概念を客観的に見られるようになって、そこから解放されていった。だから、物語に関しては、「ねばならぬ」に縛られなくなった。『精霊の守り人』からは物語に没入することを何より大切にするようになったし。でも、佐藤さんの作品も没入感は同じだと思うけれど。
佐藤 うーん、どうだろう。『サマータイム』は特別なんだけど。
上橋 今回文庫になる『明るい夜に出かけて』を読んだとき、佐藤さんのメールに近いしゃべり方だな、と思ったの。世代をちゃんと呼吸してるよね。そうでなければ現代の若者をああいうふうには書けないと思う。
佐藤 それはよく言われるけれど、自分ではあまりわからない。日常使う言葉とかメールが、微妙に年不相応だからね。
上橋 実は、佐藤さんがどうやって作品を生みだすのか、私はわからなくて(笑)。これをこうして、こうなるというのがわかる作品は結構あるんだけど、佐藤さんがどうやって書き始めるのかがわからない。プロットは立てる?
佐藤 最低限。確かに、私の小説って、エピソードの積み重ねで読んでもらうものが多いから。書いていかなければわからない世界で、置いていくエピソードが次のエピソードを生んでいくわけで。
上橋 あ、そうなのか! ならわかる!私も、プロットは立てずにひとつのエピソードが生まれて、そこから次が自然に出て来るという形で書いているから。でも、大体ラストが見えてないと雑誌に出すのは、怖くない?
佐藤 そんなの見えたこと一回もないし。
上橋 それで雑誌に書けるのがすごいなあ(笑)。『明るい夜に出かけて』の、富山も鹿沢も佐古田も、一人一人がそれぞれやっていることが、次に出てくるエピソードを生んでいる。だから、あの作品は、プロットは作っていないだろうな、と感じてはいたの。
佐藤 『黄色い目の魚』も、先を考えないで書いてましたね。登場人物の中に入って、その子がやりそうなことを一生懸命追っかけていった話だった。
上橋 でも、だからこそ、自然に物語が生まれてくるんですよね。
佐藤 本当に、登場人物任せです。思いがけず、こことここがうまくくっついたなってこともあったり。
上橋 私も、例えば『鹿の王 水底の橋』(KADOKAWA)は登場人物のミラルの行動のお陰で、私にとっては世に出せる物語が生まれたし、「守り人」シリーズはバルサたちのお陰で生まれていった。
佐藤 そのくらい入り込んで書かないと、本当の意味で人物は生きないよね。
上橋 作者がその人物に何かをさせるために書いたらおしまいだと思う。だから、彼らが動いていくのを本気で追っかけていくしかない。
佐藤 それだけ自分が入り込める人物を作るというのが大前提だから。
上橋 そう、それだけの人たちでないと、その世界を支えてはくれないよね。