「部屋」が育む、かけがえのない家族の思い出――三上延『同潤会代官山アパートメント』

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「部屋」が育む、かけがえのない家族の思い出

[レビュアー] 池上冬樹(文芸評論家)

 三上延といったら『ビブリア古書堂の事件手帖』だろう。鎌倉の古書店を舞台にしたシリーズ全八巻は累計七百万部に迫る勢いだし、映画化もされて人気の衰える気配はない。ファンとしてはシリーズの新作を期待してしまうけれど、作家はいつまでもシリーズに頼っているわけにもいかない。古書に頼らない人間ドラマを書きたい欲求が強いだろうし、それを書かなければ作家としての展開も限られてくる。

 そんな思いからだろうか、二〇一五年の暮れに『江ノ島西浦写真館』を上梓した。江ノ島の写真館を舞台に、祖母が遺した「未渡し写真」四枚の謎を孫の女性が探る連作形式のミステリで、一つ一つの写真の謎を追及していくことが、主人公の桂木繭(かつらぎまゆ)(祖母に教わってカメラに夢中になり、大学でも芸術学部に入ったものの、ある出来事で写真家を諦めた)の過去へと繋がることになるという精妙な構成だった。

 しかも注目すべきは青春小説としてのきらめきも、家族小説としてのセピア色に輝く魅力もあることで、何ともやさしく繊細な手触りをもっていた。それはすでに『ビブリア古書堂の事件手帖』にもあるものだが、シリーズ以外の作品であらわされると、また格別な思いがする。

 そのことは新作『同潤会代官山アパートメント』にもいえるだろう。タイトルにもあるように実在した集合住宅で、一九九六年に解体され、いまは代官山アドレスになっている。同潤会とは一九二三年(大正十二年)に起きた関東大震災の復興支援のために設立された団体で、大正末期から昭和初期にかけて東京と横浜の各地に鉄筋コンクリート構造の集合住宅を建設した。電気・水道・ダストシュート・水洗便所など当時としては先進的な設計や装備がなされていた。物語はそんな代官山アパートに住んだ家族の年代記である。短いプロローグとエピローグをのぞけば、一九二七年からおよそ十年刻みで一九九七年までを、八篇の短篇で物語っている。

 具体的にいうなら、関東大震災の後遺症(「月の沙漠を 一九二七」)、戦時中の結核患者とクリスマス(「恵みの露 一九三七」)、戦争の傷痕と愛の確認(「楽園 一九四七」)、孫と火事騒ぎ(「銀杏の下で 一九五八」)、ビートルズと失恋(「ホワイト・アルバム 一九六八」)、終の棲家への思い(「この部屋に君と 一九七七」)、家出してきた曾孫の問題(「森の家族 一九八八」)、そして曾祖母の死と建て替え(「みんなのおうち 一九九七」)である。

 八重(やえ)は十代のころに県庁の役人と結婚をしたが、悪所通いが絶えないので離婚。両親が他界してからは茅ヶ崎の実家の小間物屋を切り盛りし、四歳下の妹の愛子(あいこ)を可愛がっていた。ようやく東京の貿易会社勤務の竹井光生(たけいみつお)と愛子の縁談が決まった矢先、関東大震災が起きて、愛子が亡くなってしまう。そして数年後、八重は悲しみを共有する光生と結婚する。これが冒頭の「月の沙漠を」であり、このあと娘の恵子(けいこ)が生まれ、恵子も結婚して男の子を二人生み、その男の子たちも大人になって結婚して子供をもうけて……と四世代の変遷が代官山のアパートを基点に語られていく。

 読みながらあらためて「家族っていいなあ」と思ってしまう。十年刻みで八作、七十年間の軌跡を捉えるにはやや駆け足の感はあるものの、それでもそれぞれの時代の手触りがあり、生きた日々の華やぎと寂しさがしかと描かれてある。

 とくに胸をうつのは、余命幾ばくもない竹井が病院から一時帰宅して、昔住んでいた三階へとむかう「この部屋に君と」だろう。もうすぐこの世から旅立とうとする夫の思いに八重がこたえ、孫がこたえ、そして……いやいや、これは書かないでおこう。慣れ親しんだ部屋がどれほど貴重で、どれほど大切な思い出を育んでいたかを語り、何ともしみじみと迫ってきて、目頭が熱くなるからである。

 三上延の小説はみなそうだが、何ともやさしく温かな気持ちになる。落ち着いた清らかな叙情がたたえられているからで、特に本書は読者の心をゆったりとつつみこむ。代官山に住まなくても、読者は自らの人生にひきつけ、生きてともにある人々や先代や後代の人たちに思いをはせることになるだろう。生きる意味とは何か、喜びとは何かを静かに問いかけるからである。いい小説だ。

新潮社 波
2019年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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