政治を「ゲーム」することに関する若干の考察

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ゲーム理論で考える政治学

『ゲーム理論で考える政治学』

著者
浅古 泰史 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784641149281
発売日
2018/12/20
価格
2,860円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

政治を「ゲーム」することに関する若干の考察

[レビュアー] 浅古泰史(早稲田大学政治経済学術院准教授)

 10年ほど前に、留学先のアメリカでゲーム理論を用いた国際関係論の講義を受講した。その講義の冒頭における教授の一言が、今でも印象に残っている。

「ゲーム理論家は経済学では天才と崇められるが、政治学では蔑まれる。覚悟しておくように」

 海堂尊の小説『ジーン・ワルツ』シリーズの主人公である産科医の夫は、MITに勤めるゲーム理論家であり、天才的人物として描かれている。小説の世界ではなくても、(応用ではない)ゲーム理論を研究している人の中には天才的人物とみなされている人が多い。一方で政治学でゲーム理論を用いると、「実際の政治を理解せずに机上の空論で遊んでいるだけだ」と蔑まれるというのである。この話をした教授は、国際関係論のゲーム理論分析では業績を多く持つ有名人だった。こんな優秀な人でも言われるのだな、と印象的だった。

 しかし、このような話は実際に山ほどある。それは、ゲーム理論が経済学の枠を飛び越え、あらゆる分野に応用されるようになった背景を考えれば、必然かもしれない。

ゲーム理論は非現実的?

 ゲーム理論とは、端的に言えば数学を用いて、複数の意思決定者の行動を分析し、生じ得る結果を予測する分析手法である。従来の経済学では、一個人に市場価格を変える力はないため、影響力が極めて小さい意思決定者を分析対象としてきた。一方でゲーム理論では、すべての意思決定者たちの選択が結果に影響を与える状況を分析対象としている。私たちの社会には、むしろこのように多くの意思決定者の選択や利害がお互いに影響し合っている状況が多々ある。よって、ゲーム理論が分析対象としている事象は、私たちの社会にあふれていると言える。

 その結果、ゲーム理論は経済学の枠を飛び越えて、多くの分野に応用されてきた。政治学はその代表例ではあるが、それ以外にも、経営学、ファイナンス、社会学、法学、生物学、人類学、工学、コンピューターサイエンスなどに応用されている。政治学や社会学などの社会科学だけではなく、自然界の分析にも幅広く応用されていることになる。

 この中でゲーム理論の最も有名な応用先は経営学と言ってよいだろう。1980年代以降、個々の意思決定者が持っている情報量が違う「情報の非対称性」を明示的にゲーム理論に導入した分析が発展した。例えば、個々のプロジェクトに関しては従業員の方が経営者より情報を持っており、会社経営に関しては経営者の方が投資家より情報を持っている。よって、情報の非対称性を分析できるようになったゲーム理論は、まず経営学に盛んに応用されることになる。かく言う私も20年ほど前に日本で修士課程の学生だった時には、取締役会のゲーム理論分析を行っていた。その際にも「数理分析は実際の経営や会社を理解していない」という批判を聞くことは少なくなかった。また、取締役会の分析は会社法と関わるが、法律へのゲーム理論の応用も「法と経済学」と呼ばれて盛り上がっていた。しかし、そこでも数理分析が批判されることはあった。冒頭の数理分析に対する批判は、政治学に限った話ではないのである。

 このような批判が生じる理由もわからなくはない。中学や高校で学ぶような数学を考えれば、実際の社会の分析に適用できるなど夢にも思わないだろう。私も決して「ゲーム理論は完ぺきな分析手法だ」とか「ゲーム理論で何でも分析できる」などとは思っていない。ただし、ゲーム理論を用いた数理分析は、中学や高校で学ぶ数学のように明確な答えがある問題を議論しているわけではないことは理解してほしい。

 ゲーム理論では、まず個々の意思決定者の目的を設定する。そのうえで、各意思決定者が持っている選択肢や、意思決定の順番などのゲームの「ルール」も設定する。そのルールの下で、各意思決定者は自身の目的を最大限達成できるような選択をすると考える。ここで、目的をどう設定するか、あるいはゲームのルールをどう設定するかは、すべて分析をする研究者が考えることになる。つまりゲーム理論は、何か明確な答えのある計算をするために用いるわけではなく、研究者自身の考えを示すためのツールに過ぎない。現実の社会を単純化し、そこにある本質を取り出して、「現実の社会でなぜこのような事象が生じているのか」を明快に示すためのツールということである。よって、ゲーム理論を用いることで特定の結論を得られるわけではなく、むしろいかような結論でもゲームの設定次第によって得ることができると言える。

 また、ゲーム理論には多くの誤解がつきまとう。例えば、「人間はゲーム理論で考えるほど利己的ではない」とか、「数理分析で描かれるほど人々はスマートではない」などである。しかし、ゲーム理論は利他的人間も、失敗をする人間も分析することができる。これらは目的やゲームのルールの一環であり、いかようにも設定することができるからだ。実際に、拙著のChapter1では利他的人間や、意思決定を失敗する人間も分析しているので参照されたい。

なぜゲーム理論を学ぶのか

 それでは、ゲーム理論を用いることの積極的利点は何だろうか? 堅い話は拙著のIntroductionにて示している。曰く、論理性に優れた手法である。曰く、冷静に政治や社会を分析することができる。曰く、分野や国を超えて、多くの研究者で一緒に分析を発展させていくことができる、などなど。また、実際にゲーム理論は幅広い分野に応用され、かつ研究が発展してきたことから、多くの研究者が有効な手法であると認識していると言える。ただ、それはあくまで研究者間の認識であって、拙著を手にした読者の多くは、ゲーム理論を用いて政治分析をするような研究者ではないだろう。

 それでは、問いを少し変えてみよう。私自身がゲーム理論を用いた政治分析を専門としたのはなぜか。もちろん、上で書いた数々の理由も重要なのだが、突き詰めていけば、一つの理由しかない。

 それは、単純に面白いからだ。

 これを読んでいる皆さんの中でも、「あれだけ淡々とした数学で、どうやって泥臭い政治を描くのだろう」と少し興味を持っていただいている方もいるかもしれない。私も、最初はそのような気持ちで学び始め、そしてその面白さにはまったのである。複雑奇怪な政治を見て、その本質は何か悩みぬいて考え、数理的手法で明確に示していく。無味乾燥な数学に人々の息遣いを吹き込んでいき、社会で生じる様々な事象に対して、自分なりの答えを出していく。自分で作った数理モデルを実際に解いてみて、「なるほど」と思ったり、あるいは納得できない場合はモデルを変えて分析しなおす。そういう試行錯誤が、やはり面白くてたまらない。私は別段数学の問題を解くこと自体が好きなわけではない。数理的に現実事象、特に政治的事象の本質を示していくその明快さが好きなのだ。まずは、この楽しさ面白さを伝えたい。これが本書を書いた最大の理由である。

 そこで私が面白いと感じた既存研究が示している数理モデルを、さらにその本質だけが目立つように徹底的に単純化した。読者が計算に追い付けずに挫折することがないように、できるだけ単純な分析にし、その一方でモデルが示している本質的な個所は消えないように気を付けた。そして、その単純な数理モデルを用いて、保育園待機児童、韓国大統領のスキャンダル、日本の記者クラブ制度や政党助成金の是非、官僚の忖度、アウンサンスーチー政権が行ったロヒンギャ掃討作戦など、現実の重要な政治問題の分析を試みた。「こんな単純なモデルで事の本質を示すことができ、現実の問題を考えるヒントを得ることができるのだ」という、ゲーム理論が持つ一番の醍醐味を伝えることを、何より考えて執筆した。また、紹介するトピックも、ゲーム理論の講義でよく紹介される選挙競争の分析だけではなく、議会、官僚、メディア、独裁制、戦争と平和など様々なトピックを議論するようにし、ゲーム理論分析のすそ野の広さも理解してもらえるように試みた。

 以上の試みが成功したかどうかはわからない。そもそも数学が嫌いな人には面白さは伝わらないだろう。しかし一人でも多くの読者が、時には蔑まれることもある政治に対するゲーム理論の応用を、「あれ、ちょっと面白い」と感じてくれれば、幸せである。

ゲーム理論で考える××学

 ゲーム理論に関する一般読者向けの手軽な入門書は、マンガでわかるものも含めて多くあり、経済的事象への応用も多く紹介されている。また、経営学への応用に関しても、一般向けの入門書は多く存在する。代表的なものとして、ジョン・マクミラン著(伊藤秀史・林田修訳)『経営戦略のゲーム理論』(有斐閣、1995年)がある。その一方で、政治学への応用に関しては手軽な入門書は存在しなかった(厳密に言うと、当時執筆し木鐸社から出版した拙著『政治の数理分析入門』があるが、一般向けと言うよりは大学学部生向きである)。そこで、有斐閣の編集者の方より、「政治学版マクミランを書いてほしい」という依頼が来たのである。

 しかし、前述したように、ゲーム理論の応用先は経済学・経営学・政治学以外にも数多くある。「応用はされてるよ」と紹介されるものの、どのように応用されているかはなかなか理解しづらい。私自身も、法学への応用はある程度把握しているが、その他の分野への応用に関する理解は心もとない。しかし、ゲーム理論の他分野への応用も面白いことは間違いないだろう。近い将来、『ゲーム理論で考える法学』や『ゲーム理論で考える生物学』など、一般向けにその面白さを伝える書物が出てくることを密かに期待している。

 しかし、それもしばらく先のことだろう。まずは、『ゲ―ム理論で考える政治学』で政治というゲームに取り組んでみないだろうか?

有斐閣 書斎の窓
2019年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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