山海記…佐伯一麦著 講談社

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山海記

『山海記』

著者
佐伯 一麦 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784065149942
発売日
2019/03/22
価格
2,160円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

山海記…佐伯一麦著 講談社

[レビュアー] 山内志朗(倫理学者・慶応大教授)

 東日本大震災の五年後、著者は鎮魂を求めて、奈良県十津川への旅に出る。「彼」という人称で語られる。東日本大震災の風景がいつも背後にある。表象不可能な悲劇の文学的表現は可能なのだろうか。

 大和八木駅から新宮駅までの路線バスの旅が描かれる。震災と同じ年二〇一一年九月に十津川に大水害があった。バスはその跡をたどる。車窓からの風景と震災の被害とが交互に現れる。著者は、日本の東西、過去と現代、地震と津波と水害と山崩れなど、山と海をめぐる悲劇の歴史を積み重ねながら物語を織りなす。全編を通じて死の匂いが漂う。

 渓谷を走りながら、羽越豪雨、飛騨川バス転落事故が思い起こされ、震災の津波と瓦礫(がれき)の跡が想起され、災害と事件が詳しく語られる。

 そこに少年時代からの親友、唐谷の思い出が挿入される。災害の傷跡と重ね書きされる著者の人生の傷跡は痛み続ける。濃厚に染みついた親密な交友の記憶が、彼の突然の自死という知らせによって、廃墟(はいきょ)のごとく現れる。さらに、唐谷にも語り得なかった幼児時代の近所の青年による性的暴力の事件が語られる。

 それらの記憶に苛(さいな)まれて、自分を葬り去りたい衝動の下で、その記憶を抱えながら自罰的に生を選んできた。作者は、私小説でありながら、記憶を遠ざけたくて「彼」と書き連ねてしまう。それでも立ち往生してしまう。積み重なった痛みの記憶が歩みを邪魔する。

 生々しすぎる唐谷の死から二年が過ぎ、著者は「私」という人称を再び取り戻し、小説の最終部が再び書き始められる。

 山と海、山崩れと津波と洪水の瓦礫を掘り起こし、歴史上の大きな災害や事件と自分の記憶を掘り起こしていくと死者の記憶が蘇(よみがえ)る。

 瓦礫の上にしか未来は構築されないことも救済のストーリーなのである。鎮魂とは忘れ去ることではない。深い感動を覚える小説だ。

読売新聞
2019年4月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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