わたしもじだいのいちぶです…康潤伊、鈴木宏子、丹野清人編著

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わたしもじだいのいちぶです

『わたしもじだいのいちぶです』

著者
康 潤伊 [著、編集]/鈴木宏子 [著、編集]/丹野清人 [著、編集]
出版社
日本評論社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784535587281
発売日
2019/01/21
価格
2,200円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

わたしもじだいのいちぶです…康潤伊、鈴木宏子、丹野清人編著

[レビュアー] 坂井豊貴(経済学者・慶応大教授)

 いまから100年ほど前、川崎の臨海部は工業地帯へと街並みを変えていった。職を求める人々が各地から集まり、定住していった。この臨海部の一角に、桜本という下町がある。桜本には朝鮮から訪れた、あるいは渡日を余儀なくされた人々が、コリアタウンを形成した。

 この地域の在日コリアンのハルモニ(おばあさん)には教育の機会をもてず、働き詰めだった人が多い。そんなハルモニたちは高齢になってから、ようやく読み書きを学ぶ時間をもてるようになる。桜本の施設「ふれあい館」は、それをサポートする識字学級をひらいている。本書はそこでハルモニたちが綴(つづ)ったさまざまな作文を一冊に集めたものだ。生活の労苦や、舐(な)めてきた辛酸、そして戦争。作文で語られる思い出の多くは、何かしらの深い哀(かな)しみと結びついている。

 それでも、あるいはだからこそ、よい思い出のもつ幸福は静かにきわだつ。たとえばあるハルモニは幼いころ、大みそかの夜、母が作ってくれた晴れ着の「すてきなチマチョゴリ」をそばに置き眠ったという。正月にそれを着て、赤いリボンを髪に結わえるのが楽しみで、なかなか寝付けなかったと楽しそうに記す。だってそれは「ふだんはきられないふくだった」のだから。

 本書に収められた作文は率直で、一つの色を印象付けるものが多い。たとえばそれは髪に結わえたリボンの鮮烈な赤。あるいは戦争で焼けてしまった柿の木が、かつてつけていた柿の実の色。文章で書き記すという作業が、書き手の胸に色付きの思い出を蘇(よみがえ)らせているのだろう。死や差別に関わる記述も多くあるが、ときには「ヘイトスピーチやだね!!」と軽快に言い放ったりもする。

 時代の濁流に翻弄(ほんろう)され、自分の望み通りにはいかなくとも、折り合いをつけて生き抜くこと。ハルモニが「わたしもじだいのいちぶ」と記すとき、そこには哀しみと逞(たくま)しさとが瑞々(みずみず)しく現われている。

 ◇かん・ゆに=早稲田大助手◇すずき・ひろこ=ふれあい館識字学級共同学習者◇たんの・きよと=首都大学東京教授。

読売新聞
2019年4月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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