テレビの情報番組が絶対に紹介しない
[レビュアー] 深水黎一郎(作家)
この春、光文社から『第四の暴力』が上梓されます。私にとっては一年ぶりの新作で、通算二〇冊目(同一作品の文庫化等は含めず)となる節目の本です。
この作品は、互いにゆるやかな関連性を持つ独立した三つの中篇から成ります。第一篇のタイトルは「生存者一名 あるいは神の手」、第二篇が「女抛春の歓喜」、第三篇が「童派の悲劇」。『宝石 ザミステリー』と『ジャーロ』に発表した三篇に加筆修正、さらに改題も施しました。
え、何と読むんだって? 失礼しました。〈童派〉は〈ドーハ〉、〈女抛春〉は〈ジョホールバル〉と読みます。
そう、サッカー日本代表の〈ドーハの悲劇〉と〈ジョホールバルの歓喜〉です。第一篇の〈神の手〉は、もちろんマラドーナのアレですね。
しかしこれはサッカー小説ではありません。内容に即しながらも一貫性があるタイトルを付けたくて、あれこれ模索していた昨年夏のとある日に、当て字を使えばサッカー繋がりの象徴的なタイトルで纏(まと)められることに、突然気付いたのです(はい、ロシアW杯を見てました)。
さてこの作品、実はジャンル分けが難しいのです。自分としては、ジョージ・オーウェルの衣鉢(いはつ)を勝手に継いだ、〈近未来の絶望世界(デイストピア)を描いたSF〉というのが最も近い感覚です。第一篇が終わると選択肢が現れ、読者がそのどちらを選ぶかによって、未来が変わり、第二篇と第三篇はその分岐した二つの未来の姿になります。未来は悲劇なのか歓喜なのか。もちろん作者としては、両方お楽しみ頂けるように、味付けにはこだわりました(激辛と超激辛ですが)。
この作品、もう一つのキャッチフレーズは、「テレビの情報番組が絶対に紹介しない本」です。何故そんな風に断言できるのかは、お読み下さればわかります。
というかそもそも「第四の暴力」とは一体何なのか?
それも是非、ご自分の目で確かめて下さい!