【刊行記念インタビュー】柚月裕子 孤高の検事・佐方貞人の男気と執念を描くリーガル・ミステリー。シリーズ最新作!

インタビュー

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検事の信義

『検事の信義』

著者
柚月裕子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041066577
発売日
2019/04/20
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【刊行記念インタビュー】柚月裕子『検事の信義』


このほど六年ぶりに「佐方貞人」シリーズを刊行した柚月裕子さん。
いま、柚月さんが興味を覚えているテーマをどのように作品化したのか。ファンの期待に後押しされながら、不安な思いも抱きつつ挑んだ中編で試みた文体の挑戦とは何か。上昇気流に乗った作家の看板シリーズについて、存分に語っていただきました。

派手なドラマよりも人々の心模様を描く

――『最後の証人』『検事の本懐』『検事の死命』に続く「佐方貞人」シリーズ待望の四作目『検事の信義』が刊行されました。雑誌掲載やアンソロジーに収録されていた作品に中編「信義を守る」を加えた四編が収録されています。

柚月 前作から六年ぶりの刊行ということを聞いて、そんなに経っていたのかと驚いています。

――中年のヤメ検弁護士という佐方が登場して、圧倒的に不利な殺人事件の裁判に挑んだのが『最後の証人』でした。新人賞デビューから二作目にあたる重要な作品でしたが、当時読んだとき、これはすごい人が登場したと思いました。その一年後に『検事の本懐』が出ましたが、時代を遡って検事時代の若い佐方が登場したのでびっくりした記憶があります。

柚月 デビュー後に短編の依頼があったのですが、当時はわたしのキャリアが浅く、新しいキャラクターを作り上げる過程が難しかった。『最後の証人』が幸い好評を得たこともあり、佐方を再登場させました。でも短編で法廷ものを書くのは分量的に難しい。検事ならば起訴するかどうかの判断など法廷以外の仕事もあるので、短い枠の中でもできるかなと。苦肉の策でした。

――これまでにも検事が主人公の作品はありましたが、佐方のようにわずかな疑問をそのままにすることなく、被疑者や事件に向かい合い、しかも法の理想を忘れずに検事の職務をまっとうするという作品は新鮮でした。

柚月 弁護士も検事も罪を扱う点は同じなので、小説もドラマも弁護士側から描かれることが多いですね。弁護士は検事のように国家権力の後ろ盾がなく、越えなければならないハードルが高い。でもその分ドラマとして作りやすいかもしれません。しかし検事も自分の見立てや方針と、組織の事情がぶつかって悩むことが多いはずです。

――「佐方」シリーズはまさにそれが通底したテーマになっていますね。

柚月 裁判員制度が始まってずいぶん経ち、裁判が他人事ではなくなりました。自分も関わるかもしれないという意識がどこかにあります。それとかつての裁判のように、知らない証人がいきなり出てきたりとか、そういうことがあり得なくなり、『最後の証人』のような法廷でのどんでん返しなどが難しくなりました。ですから派手なドラマよりも、罪を犯した人間の周囲にいる者たちの心模様や、組織の事情、事件の動機の部分などを丁寧に描くようにしています。

あの作品の登場人物と佐方が夢の共演!?

――本作の第一話「裁きを望む」は佐方の公判部にいた時代のお話で、住居侵入および窃盗容疑で逮捕、起訴された被告に無罪を論告するという、異例の発端から物語が展開していきます。

柚月 実際にはまずないことですね。いわゆる「問題判決」の最たるもの。検察の権威に関わることであり、弁護士に負けることは検事として組織内での出世の道を外れることを意味します。無罪論告をやりたい検事は一人もいないでしょう。それをあえて佐方はやる。それが佐方のキャラクターにつながっていきます。

――この作品の「トリック」は内外のミステリーで何回も使われているものですが、それが主眼ではありませんね。

柚月 佐方は被告が置かれた立場に思いを馳せているんです。単なるお金の問題じゃない、肉親への断ちがたい情愛が事件の底にあります。被告の心の内まで踏み込んで考えるから、佐方にはいろいろな矛盾がわかるのでしょう。

――キャラクターとストーリーが分かちがたく結びついているからこそと思います。第二話の「恨みを刻む」は運動会による小学校の代休から、佐方が証言の齟齬に気づき、大きく物語が動いていきます。

柚月 佐方って女からすると本当に結婚したくない相手ですよね(笑)。レシート一枚からでも重箱の隅をつつかれそう。わたしなら絶対に嫌です。

――でも私生活は無頓着ですね。休みの日に朝寝していたら、運動会の花火やピストルの音がうるさかったと。その経験によって証言の齟齬に気づくというところが面白かったです。ここでは佐方の活躍で真相が明らかになった先に、さまざまな思惑が働いていたという仕掛けがありますが。

柚月 これはもともと警察小説のアンソロジーにという依頼で書いたものなので、最後は警察の内部事情がからむように持っていきました。

――第三話の「正義を質す」は佐方が広島に帰省する折りに立ち寄った安芸の宮島で、意外な人物と出会い、難しい判断を迫られる依頼を受けるという作品で、柚月さんの別のある作品とリンクする異色作です。ところで佐方を広島出身にしたのは訳でもあるのでしょうか。

柚月 これは全くの偶然なんです。弁護士だった佐方の父親が逮捕されたというバックボーンがあったので、彼を地元から遠い地に離したいという理由がありました。北海道の大学を出たことにしたので、故郷が東北じゃ近すぎるし、九州じゃちょっと遠すぎる。といって東京でもないだろうということで、広島ということに決めて書き始めてしまい……。この時は、後に広島を舞台にした『孤狼の血』などを書くようになるとは思ってもいませんでした。「正義を質す」はちょうど『孤狼の血』を書き上げたころに取りかかったので、ちょっと遊んでみました。知らない人はそのまま読めるし、分かっている人はクスッと笑っていただければいいかなと。

――いろいろあって、佐方はある意味自分の信念を変えて、彼が担当している事件の被疑者の保釈を認めます。

柚月 裁判所は保釈許可決定に際して、検察官の意見を聴かなければならないと刑事訴訟法で決められています。保釈を認めない場合は「不許可」、認める場合は「しかるべく」と回答するのです。わたしはどうしてもこの「しかるべく」という言葉を使いたかったのです。この判断は「罪はまっとうに裁かれなければならない」という信念を持つ佐方にとって非常に大きなことでした。自分の信念も大事だが、組織の都合とかではない、考慮すべき大きな問題がある。そう判断した上での「しかるべく」でした。「正義を質す」は佐方が検事を辞める一年くらい前という設定ですので、検事のあり方の理想とのギャップが出てきた時代です。任官したてのころの佐方でしたら、法律の建前をなによりも優先して、また違う行動や判断をしていたかもしれません。

重圧の中で書き上げた胸を打つ中編

――最後が『野性時代』に掲載された中編の「信義を守る」です。認知症の母親を、たった一人の身内である息子が殺したという事件の調書が、公判部の佐方の元に回ってきます。母親の死体は自宅近くの山林で発見され、息子は二時間後に五キロ離れた隣町の路上を歩いているところを発見されます。本人の自白、物的証拠、介護疲れという動機。何も問題ないと思われた調書に佐方は疑問を抱きます。事件現場から離れたのは逃亡のためと証言しながら、なぜ二時間もかけてたった五キロしか移動していないのかと。

柚月 物語の時代はずっと前ですが、介護問題というテーマは現代ではより深刻になり、関心も強くなってきています。数年前に京都で起きた介護殺人事件が大きなニュースになりました。事件を取り上げたノンフィクションには、息子が母親を殺めるまでどのような苦労があり、殺めた後もどれだけ苦悩したかが取材されていて、本当に辛い事件だと思いました。老老介護や介護破産など介護にまつわる悲劇はこれからますます増えるでしょう。それらのことをもっと多くの人が関心を持って見つめていかなければならない。つねづねそう感じていて、いつか取り上げたいと思っていました。

――加害者である息子が、福祉の助けを借りることなく孤立していったことも事件の遠因になっています。

柚月 福祉があっても、当事者が自分から調べて動かないと、なかなかあちらからは来てくれません。特に現代ではネット環境があるかないかでも大きく変わります。実際に役所に足を運ぶ気力や知識があるかないかで適用される制度が変わってきます。どうすれば福祉の助けが必要な人がそれを享受できるのか、もっと認知されなければならないでしょう。

――佐方は「二時間」という事件の本質と関係ないと思われる疑問にこだわって、事務官の増田とともに調査を始めます。もちろんそれは調書を取って送致した先輩検事の面目を潰すことにもつながります。

柚月 本当に逃亡しようと思っていたら、もっと遠くまで逃げられたはずです。なぜ近くでもたもたしていたのか。最初に取り調べた検事は、気が動転していたという息子の証言を鵜呑みにしました。無理もないことかもしれません。しかし佐方は人間の心理に反する息子の行動に、ただ一人疑問を抱きます。調査の過程で佐方はあることに気づき、息子の行動の謎を解くことになりました。

――本当に胸を打つ話です。再調査を決めた佐方は自ら息子を取り調べます。その様子を見ていた増田は、献身的な介護の果ての事件ではなく、息子の身勝手さが起こした事件だろうと思い直します。ところが佐方とともに足を使った捜査に出ると、再び事件の印象が変わっていきます。この作品には大きなトリックはなく、信用できない証言者の言動に依っているのですね。

柚月 わたしが小説を書く上で最も心を砕いているのは、犯人は誰かということ以上に動機の部分です。人間はどんな時にどんな行動を取るのか、そしてなぜこういうことが起きるのか。それを描く上で多少のトリックやミスリードは入れますが、本書の最初の三編を書いた時期よりも、自分が本当の意味で書きたいものは動機の部分なのだと改めて思いました。「信義を守る」は結局、息子に覚えた違和感を佐方が探ってゆくという構造です。

――とはいえ、そこにはまたも親子の情愛がからんでいます。生活保護を受けなかった理由や、最後の法廷での息子の一言に、胸を打たれない読者はいないでしょう。

柚月 もしわたしが親に手をかけて法廷に立った時、何を言うのか。こういう理由があったとか、辛すぎたという言い訳は言わないだろう。きっとあの一言なのだろう。そう思って決めた台詞でした。被告の本音があの一言に凝縮されているのです。

――最後の作品の執筆は大変だったとうかがいましたが。

柚月 本当にプレッシャーがのしかかりました。講演会やサイン会を開くと、「佐方」シリーズを待っていてくださる読者の方が本当に多いのです。多くの方が「佐方の新刊はまだなのか」とお訊ねになる。そのたびに「いつか書きます」と言ってましたが、今回これを書くときに、途中で辛くなりました。ファンの方の声に後押しされて書いた反面、その方たちを楽しませることができるのか、前の作品に比べてつまらないと思われたらどうしようかと、不安だらけの中で書き上げました。

――六年間待った甲斐のある素晴らしい作品集だと、間違いなく断言できます。

柚月 ありがとうございます。実は最近は北方謙三さんの「大水滸伝」シリーズを読んでいまして、短く刻んでいく文体に影響を受けました。北方さんのハードボイルドな文体を、「信義を守る」で試みてみました。最初の三作品と違って、文章が短めになっているかと思います。佐方は十年以上、最も長くつきあっているキャラクターです。彼の像は変わらないけど、わたし自身いろいろと気づくことがありました。それを伴いつつ、これからも佐方を書いていきたいと思っています。次は弁護士佐方の長編というご依頼を受けていますが、そちらはもうしばらくお待ちください。

 * * *

柚月裕子(ゆづき・ゆうこ)
1968年岩手県生まれ。山形県在住。初めて書いた長編小説『臨床真理』で、2008年に第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。10年に佐方貞人が初登場する『最後の証人』を発表し注目を集める。13年に佐方シリーズの第二作『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を受賞。16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門を受賞。他の著書に『あしたの君へ』『凶犬の眼』『盤上の向日葵』などがある。

取材・文=西上心太 撮影=ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2018年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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