真実が揺らぐ時…トニー・ジャット著

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真実が揺らぐ時

『真実が揺らぐ時』

著者
トニー・ジャット [著]/ジェニファー・ホーマンズ [編集]/河野 真太郎 [訳]/西 亮太 [訳]/星野 真志 [訳]/田尻 歩 [訳]
出版社
慶應義塾大学出版会
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784766424546
発売日
2019/04/05
価格
6,050円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

真実が揺らぐ時…トニー・ジャット著

[レビュアー] 鈴木幸一(インターネットイニシアティブ会長CEO)

  ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。ソ連監視下の東欧の国家が、次々と解放されてみると、ヨーロッパの地理上の中心はフランスではなく、ドイツになった。ベルリンの壁崩壊がもたらす将来に対し、まず地勢上の変化に目を向ける視野は、卓越した現代史家のトニー・ジャットにとって、自然なのである。ある現象が生じた時、その現象をどのように捉えるのか。歴史家の叙述を読む楽しみは、時間と空間に対する冷徹な眼(め)に触れることにある。

 2005年に刊行された『ヨーロッパ戦後史』は、欧州における戦後の経済復興期から、実質的な経済成長が終焉(しゅうえん)し、過剰な債務と金融市場に経済が依存するまでを、透徹した思考力に裏打ちされた驚嘆すべき浩瀚(こうかん)な知識によって、叙述した傑作だ。本書は、そのジャットが、折に触れ、紙誌に投稿した書評やエッセイを夫人が編集し、遺稿集ともいうべき形でまとめたものである。

 ジャットは、奨学金という戦後の福祉国家の恩恵を受けて育った多国籍の系譜をもつユダヤ人である。その意味で、批評の対象となるテーマは、多岐にわたるが、欧州での社会民主主義のありよう、パレスチナ・イスラエル問題、イラク戦争を始めたアメリカに厳しい批判を向ける。一方、書評という形で知識人に対しても、鋭い検証を行っている。

 その一つ、ナチスの占領から戦渦を経て、ソビエトの監視、支配と続くポーランドを生き抜いた哲学者レシェク・コワコフスキの死を受けた一章は秀逸だ。「悪魔は私たちの経験の一部である。私たちの世代はそれを十分経験してきたのだから、そのメッセージはきわめて真剣に受け取られねばならない」。コワコフスキの言葉が重い記憶として刻まれる。

 イラク戦争時のブッシュ大統領に鋭い批判を向けたジャットなら、トランプ大統領を、どのような言葉で語ってくれただろうか。現在の米国についてジャットの言葉を目にすることはない。河野真太郎ほか訳。

 ◇Tony Judt=1948年ロンドン生まれ。2005年『ヨーロッパ戦後史』刊行、ピュリツァー賞候補に。10年死去。

読売新聞
2019年5月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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