【聞きたい。】酒井忠康さん 『展覧会の挨拶』 館長から鑑賞者への42編
[レビュアー] 渋沢和彦
「展覧会の会期が決まっているので、締め切りを延ばすわけにいかない。(当時は)七転八倒して書いていました」
長く美術館館長を務め、今も現役。評論家でもあり美術界の重鎮だが、書くことのプレッシャーは相当だったようだ。本書には、館長としてかかわった平成4年以降の展覧会図録に執筆したあいさつ文から厳選42編を収めた。
「大人っぽく、館長らしい文を書かなければならない。恣意(しい)的に書けないし、専門的にも書けない。独りよがりではだめ。書いていて勉強になりました」
印象深いのは「ダニ・カラヴァン展」(6年、神奈川県立近代美術館)に寄せた一文。カラヴァンさん(88)は10年に世界文化賞を受賞したイスラエルの彫刻家。あいさつ文には、展覧会開催にあたり酒井さんが彼の作品を見る旅に出たことが記されている。
フランス国境に近いスペインの港町、ポルト・ボウではスケールの大きい作品を体で感じ、〈あたかも鉱山の坑道のなかに入って行くような感じであった〉と記している。詩的で、優れた紀行文となっている。体験記としても貴重だ。
「イスラエルのネゲヴ砂漠にある彼の作品を見た後にポルト・ボウに行きました。高揚した気分で書いたようです。なにしろ日本人がほとんど行っていないところでしたから」
今回、出版に際して古い文章もあまり直すことはなかったと言う。
「そのときの空気がありますから。失敗なら失敗でいい。画家が個展をするときに古い絵を並べるじゃないですか。それに手を入れてはだめですよ」
一方、出版は順調ではなかった。担当編集者が昨年亡くなり、原稿が一時所在不明に。その後発見され、新たな編集者に引き継がれて出版に至った。
「だから思い入れは強い。かかわったすべての人に感謝したい」(生活の友社・3500円+税)
渋沢和彦
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【プロフィル】酒井忠康
さかい・ただやす 昭和16年、北海道生まれ。慶応大学文学部で美術史を学ぶ。神奈川県立近代美術館館長をへて、現在、世田谷美術館館長。