日本で生まれた中国国歌…久保亨著 岩波書店

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日本で生まれた中国国歌

『日本で生まれた中国国歌』

著者
久保亨 [著]
出版社
岩波書店
ISBN
9784000283878
発売日
2019/02/22
価格
2,592円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

日本で生まれた中国国歌…久保亨著 岩波書店

[レビュアー] 加藤徹(中国文化学者・明治大教授)

 中国の国歌「義勇軍行進曲」のメロディーは明るく、歌詞は激しい。「起(た)て! 奴隷になりたくない人々よ!/われらの血肉で、われらの新たな長城を築こう!」云々(うんぬん)。このマーチはもともと1935年の中国映画「風雲児女」(嵐の中の若者たち)の挿入歌だった。

 この歌は日本で生まれた。作曲者の聶耳(じょうじ)は、年来の夢であった日本での留学生活を始め、東京で楽譜を完成させた後、湘南の海で溺れ23歳で死んだ。作詞者の田漢(でんかん)も、「風雲児女」の映画監督・許幸之(きょこうし)も、文化統制の責任者としてこの左翼的映画の制作を許可した国民党政権の邵元冲(しょうげんちゅう)も、長い日本留学経験をもつ。

 日本に抵抗する3人の若者を主人公とする映画「風雲児女」は、話の筋に無理があり、観客に不評で、興行的には失敗した。が、挿入歌はラジオで広まった。37年に日中全面戦争が勃発するといっそう民衆に浸透した。中華人民共和国では国歌として採用された。

 20世紀の戦間期は、重い。戦争を回避するチャンスはあったのに、それを生かせなかった。本書は、その重い時代を、日中双方の視点から浮き彫りにする。聶耳と邵元冲、邵の妻で女子教育や女性運動で活躍した張黙君の3人にスポットをあてる。日本留学中に社会主義思想に触れた若き日の周恩来、歌人の柳原白蓮(びゃくれん)の夫で、父・宮崎滔天(とうてん)と同じく中国の政治家と親交をもった宮崎龍介、謎の死をとげた駐華公使の佐分利貞男、邵元冲を信任した蒋介石、邵の死の原因となった西安事件を起こした張学良、日本の中国理解を批判した東大教授の矢内原忠雄など様々な人物も登場する。

 複雑な生い立ちをもつ「義勇軍行進曲」の背後には、大きな世界が広がり、一つの時代が凝縮されている。当時を生きた人々が日本や中国、世界に対して抱いた想(おも)いは、一様ではなかった。本書は、当時の人々の想いを現代の私たちへとつなぐ渾身(こんしん)の歴史叙述である。

 ◇くぼ・とおる=1953年生まれ。信州大特任教授。専門は中国近現代史。著書に『戦間期中国<自立への模索>』。

読売新聞
2019年5月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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