敢えて「伝奇小説」と呼びたくなる、諸田玲子の新境地

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尼子姫十勇士

『尼子姫十勇士』

著者
諸田玲子 [著]
出版社
毎日新聞出版
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784620108407
発売日
2019/03/15
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

不羈奔放に展開する史実を超えた“伝奇小説”

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 本書の第四章「合戦」の中盤で、尼子軍の旗頭ともいうべきスセリ姫が、謎めいた自身の侍女ナギに鳩尾を蹴り上げられ、ぴたりとおおいかぶさられる場面がある。

 すると、どこにいるのか、男の声が落ちてきて「大蛇退治の際に娘を櫛に変えた。秘伝の術で、うぬらの魂を入れ替える」というではないか。

 そして、キエッと鳥が首を絞められたときのような声がして、一陣の旋風が砂塵を巻きあげた―。

 おぉ、まるで〈風太郎忍法帖〉ではないか。うれしくなってしまう読者も多かろうと思う。

 帯の惹句には“著者初の壮大な歴史ファンタジー”とあるが、私は敢えて伝奇小説と呼びたくなる。

 私たちは、尼子が月山富田(がっさんとだ)城を奪還しようとしつつも、十勇士の筆頭、山中鹿介(しかのすけ)からして、悲運の最期を迎えたことを知っている。だが、物語がこのような不羈奔放さで展開されていくのだから、史実通りストーリーが進むのかは、最後の一ページを読了するまで分からないのだ。

 だいいち、前述の山中鹿介からして、尼子再興の大望をといいながら、スセリ姫を組み敷く、ダークヒーローとして登場し、尼子再興は、スセリ姫への愛情ゆえの行為だと、断じてはばからない。その他の十勇士も、目的は一つでありながら、割合と自分の欲望に忠実であることがほほえましい。

 だが、この作品の優れた伝奇性は、八咫烏を己の守り神とするスセリ姫が、魂と身体を入れ替えられたまま、神々を身方につけるために、黄泉国、地底に下りていく過程で発揮される。姫は出雲の神々の申し子であり、八百万の神々が力を貸してくれるはずだという。

 その行手を阻むのは、前述の姫の魂を入れ替えた世木(せぎ)忍者、すなわち、古えの出雲国でつくられた軍団の末裔・ムササビ。

 そして姫は、黄泉国、その地底の大殿堂で、さまざまな霊のことばを聞くことになる。

〈スセリビメよ、だれかのものであるものなどなにひとつないのだ〉

〈この世のすべては空しく、愚かしく、意味などないのだよ〉等々。

 このくだりは、冒頭に引用されているシェイクスピアの『ハムレット』一幕二場の台詞と呼応し、作品の深味を象徴している。

 この他、作中人物で面白いのは、敵が来る前に尼子誠久(さねひさ)とスセリ姫の子、勝久に筆下ろしをしてやる遊女・黄揚羽であろう。

 これぞ作者の新境地といえよう。

新潮社 週刊新潮
2019年6月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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