あなたの愛する人に贈るべき本

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あなたの愛する人に贈るべき本

[レビュアー] 神田昌典(経営コンサルタント)

世界はフラットではないし、階層社会も消滅しない!?

 世の中は、科学的ではない、物理法則に反した「噓」で溢れている。
 世界はフラットになっていくとか、学歴は成功には関係がないとか……そういった「常識」は、現実には存在しない。
 たとえば、フラットになるはずの世の中では、依然として格差が横たわっている。アマゾンやグーグルといった少数の巨大企業がある一方で無数の中小企業から成る現状があり、組織の中における「階層制」も強固なものとして存在したままだ。
 また、学歴社会の終焉というようなことも喧伝されるが、これまで官僚を目指していたエリートたちが今ではベンチャーを目指すようになっただけであり、東京大学や京都大学には、相変わらず優秀な人材が集う。
 世の中の「流れ」を間違った情報によって見誤ってはいけない。世界の本質に沿いながら、確かな人生を送ってほしい――あなたが心からそう思えるような人、あなたの愛する人、娘や息子に贈るべき一冊の本があるとすれば、それはコンストラクタル法則を発見した物理学者が書いた、エイドリアン・ベジャンの『流れといのち』だ。

「流動系は、時の流れの中で存続する(生きる)ためには、その系の流れへのより良いアクセスを提供するように自由に進化しなくてはならない」というのがコンストラクタル法則だ。正確性を欠くのを承知で言えば、「すべては、よりスムーズに流れるようにデザインされていく」というのがこの物理法則の本質である。
 一見全く無関係に見えるような事象は、コンストラクタル法則によって説明が可能だ。たとえば、河川の流れや肺の気道、稲妻の形などの樹状構造、あるいは雪の結晶、溶岩の動きもそうだ。
 さらには、「質量の輸送者」である水泳選手や長距離走者、短距離走者の身体的特徴、飛行のデザイン、富の流れ、文化の伝播までも、コンストラクタル法則は、生物だろうが無生物だろうが関係なくあてはまる。つまり、流れがすべてをデザインする、すべてはより良く流れるかたちで進化しているということなのだ。

物理学の法則がビジネスを正しく加速させる

 現代のコペルニクスやアインシュタインを挙げるとすれば、それはエイドリアン・ベジャンである。通例、革新的な法則を打ち出した場合、当初はほとんど見向きもされず、素通りされてしまう。ベジャンの法則も例外ではなかった。しかし昨年、ベジャンが米国版ノーベル賞と言われるベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞していることからわかるように、今ではコンストラクタル法則は物理学から芽吹いたひとつの潮流とまでみなされるようになった。これから大樹に育つであろうことは想像に難くない。

 物理学の話なら自分には関係ないと思わないでいただきたい。
 河川の流域、雪の結晶、スポーツにとどまらず、本書では「富」や「経済」「社会」にも触れられており、マーケティングを生業にしている私もこの法則からは逃れられない。ビジネスで難しい決断が要されるとき、賢人は古(いにしえ)の書物、たとえば『論語』に戻るとも言われるが、今の私であればコンストラクタル法則に基づいて考える。
 もちろん、人間関係のような問題であれば『論語』の範疇だろうが、高度に情報化された社会において、システムをいかに構築し、一時的な変化に惑わされることなく、「流れ」を正しく見極めるには、『論語』では足りない。
 私は昨年、1年かけて開発してきた大規模システムの導入を、リリース直前で急遽中止する判断を下した。自然の摂理を考えたとき、そのシステムが時代の流れていく方向に、もはや合わなくなったと判断したからだ。当然、社内や取引先は騒然となった。しかし3カ月もしないうちに結論が出た。コストと開発スピードが劇的に改善し、方向転換した判断の正しさが証明されたのだ。
 世に溢れる知識の中で、コンストラクタル法則ほど本質的な判断を助けてくれる知見は他にないと実感したものだ。

 さらに本作は、「1人当たりGDPと幸福度の関係性」「競争力と1人当たりのエネルギー使用量には相関関係がある」など、ビジネスリーダーにとっても必要な「経済や富」に関するまったく新しい視点を提示する。幸福度や豊かさがエネルギーの消費量と相関関係にあるというのは、一見、持続可能性を重視する現代の潮流と反する。しかし、ベジャンは個人の見解を述べているのではなく、物理法則によって導かれる帰結を述べているのだ。
 そして、人間と機械が一体化して進化を続け、宇宙空間へ進出していくことや、水やエネルギーが枯渇することはない、世界が制御不能になることもないと、楽観的な見方をしている点もまた本書の特徴だ。
 こうした新しいデザインを促すための知見が、日本では改元のタイミングで翻訳が刊行されたというのは非常に大きな意味があるのではないか。これからの未来に、大きな流れを生み出したいすべてのリーダーにお読みいただきたい本である。

紀伊國屋書店 scripta
2019年6月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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