「忍者の精神」とは正心にあり

レビュー

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忍者の精神

『忍者の精神』

著者
山田, 雄司, 1967-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784047036598
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

「忍者の精神」とは正心にあり――【書評】『忍者の精神』ウィリアム・リード

[レビュアー] ウィリアム・リード(山梨学院大学iCLA教授)

 日本の文化と歴史の中から生まれた「忍者」は「NINJA」として世界的にも認知度が高く、映画やアニメ、漫画などを通じて世界中で愛され、最も注目される日本文化のひとつになっている。その一方で、創作されたイメージが先行し事実と違う忍者像がひとり歩きをしている面もある。例えば、忍者は「にんじゃ」と呼ばれていなかった、手裏剣を使っていなかった、くノ一は存在しなかった、などなどリアルな忍者像を知ればがっかりする面もあるかもしれないが、それを知ってなお余りあるのが本書である。

 音もなく、臭いもなく、知恵者だと言われることもなく、勇者だとほめられることもなく、亡くなる時も痕跡を敵に残すことなく消え、天地を創造するほどの大きなことを成し遂げるのが忍びであったという。つまり自らの存在を消して任務を全うするのが「忍び」の本義であるため、その中に分け入っていくのは極めて困難なことが予想されるが、著者の山田雄司氏は、そこへ果敢に踏み込み、新たな忍びの世界を切り開いて見せてくれる。忍術を「道」に高めるために必要な精神とはいったい何だったのか。読み進むほどにページを繰る手が止まらなくなる。

 本書を読んだあとで戦国時代の歴史や物語を読み直せば、新たな角度からそれらが見えてくる。これまで武士の精神論とも言える「武士道」について語られることは多かったが、忍者の精神論すなわち「忍道」について言及されることはなかったという。そこに真正面から切り込んだのが本書であるといえる。

 それは章立てからも窺い知れる。第一章「忍び」の定義、第二章孫子の兵法と忍術、第三章「正心」とは、第四章忍びの立場と心得である。「忍」という字は「刃」の下に「心」を書き、それは胸に白刃をあてて自分の意志が本当に堅固なものなのか問い直して決断することをあらわしており、刃をつき通されても耐え忍ぶ心をあらわしているという。忍術とは自らの生死に関わるだけでなく、ひとたび判断を誤れば、一国の存亡に関わる術であった。それ故に忍びの任務は極めて重要だった。その任務を全うするために「正心」すなわち「仁義忠信」を守ることは最重要であり、自己を厳しく律することが不可欠であった。また忍びの術として重要なのは、人の心に忍び込みその人が秘匿していることを聞き出したり、相手の心を自由に操って意のままにしたりすることであるという。故に忍びを志す者に求められる三つの要素は「知恵」「記憶力」「コミュニケーション力」であり、これが無ければ忍びとしては成り立たない。

 さらに「正」の逆は「邪」であり、その邪な心から欲が生じる。これを忍ぶことは難しく、忍術を学ぶためには強い倫理観と地道な努力と鍛錬が求められる。そのため忍びの道を全うするには、導く師が極めて重要となる。忍術を伝授していくにあたっては、仁術から始め、正心が発露してきて初めて権謀について伝授するという。その見極めが要となるであろう。また「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」。忍びがどれほど優秀であっても、それを差配して能力を遺憾なく発揮させ、忍びが命を賭して集めた情報を十分に使いこなすことができる主君がいなければ、目的は成就されない。そして主君は忍びがいなければ正確な情報を得ることができず、最適な策略を練ることもできない。双方とも命を懸けた絆であったといえる。日本における良将は、楠木正成・徳川家康であり、武田信玄も多くの忍びを雇い入れ、甲斐の国に居ながらにして諸国の事情に通じていたという。逆に忍びの使い方を誤った将は、数知れず。石田三成の忍びはことごとく失敗したという。

 忍者の精神論である「忍道」を知ることは、日本人の生き方や考え方、ひいては日本及び日本人とは何かを知ることに繋がっている。私が「忍道」をはじめとする「道」を愛して止まないのは、そのあたりに答えがあるように思う。ぜひ手にとってお読みいただきたい。

 ◇角川選書

KADOKAWA 本の旅人
2018年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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