マイケル・サンデルではまにあわない――佐藤優『君たちが忘れてはいけないこと――未来のエリートとの対話』

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マイケル・サンデルではまにあわない――佐藤優『君たちが忘れてはいけないこと――未来のエリートとの対話』

[レビュアー] 松岡正剛(編集工学研究所所長)


佐藤優氏

 最近はあまり現場の仕事をしなくなったけれど、編集の仕事をしていると、いろいろな才能の持ち主に出会う。書けばうまい、インタヴューに強い、対談が巧みだ、講演で聴かせる、タイトリングに長けている、あとがきで泣かせる、書評が適確だ、等々。いろいろである。

 こうした才能には逆もあるし、片寄りもある。書けるけれど話すとめちゃくちゃ、相手との距離が保てずに話す、予定どおりの講演しかできない、文章は妙にレトリカルなのに授業は通りいっぺん、すべて上等だが実は人格が破綻している、論文は書けるがエッセイはへたくそ。こちらもいろいろだ。だから、おもしろい。

 佐藤優はリテラルもオラルも抜群で、かつ多産であって、どんなときも焦点が間抜けにならない。人倫もすばらしく、付きあってみるとすぐわかるが、配慮にも富んでいる。

 読書派であることは夙(つと)に知られているけれど、たんに読書量を誇っているのではなく、文脈の中でも「その書物」(著者・版元・刊行期・内容)との遭遇距離をまちがえないで引用したり挿入できる才能がある。私が知るかぎり、最近の日本ではピカ一だ。

 加えてさらに気付かされたのは、セッションにも強いということだ。作家でこの能力を見ることはめったにないのだが、佐藤さんはナマの「多勢に無勢」にも強い。外交官の経験にもとづくのか、熾烈な裁判をくぐり抜けてきたせいかはわからないが、私も何度か現場を共有して目を見張った。

 灘高の生徒を相手に話しこんだ『君たちが忘れてはいけないこと』にも感心した。高校生エリートを相手にしていることを活かして、生徒たちが用意した論点・質問・疑問をみごとに采配している。通りいっぺんのセッションではない。誘導の場面、切り込みの場面、諭しの場面、転換の場面、いずれも申し分なく配分されていた。

 灘高生が気になっているのは、日米関係、グローバルスタンダードの行き過ぎ、ベーシックインカムの実現可能性、天皇制の行方、SNSやAIの限界のこと、基地問題、民主主義とポピュリズムの関係、トランプや北朝鮮やイスラム過激派の動向といったもので、まあ、予想のつく論題が多い。ただ、そこには灘高生なりの憂慮と不安、日本の将来の見えなさ、納得のいかない思い、深められない苛立ちなどがある。これらを佐藤さんは、まさに「知の鵜匠」や「インテリジェンスの伯楽」のように捌いていくのである。

 当然、高校生には無知も誤解も先走りも思いこみもある。とくに歴史観が乏しい。それを適切な事例をふんだんに出しながら補い、必須なところは解説し、あっというような判断基準を惜しみなく出していく。事例は軍事情報から小説・映画・マンガに及び、そのつど読むべき書物が差し出されるのだ。

 しかし、この本を読んで感心したのは、こうした対応力の愉快だけではなかった。二〇二〇年代の世界情勢のなか、令和の時代に入った日本および日本人が何を考えなければならないのか、このことを実に分厚く、鋭利に、証拠だてて展開している問題設定力と解読力に感心した。たんに深めようとしているのではなく、設定された問題のレベルを問うて、その設定問題なら打ち切ってしまうという、さしずめ「知の地政学」ともいうべき「知政学」が発揮されているのも魅力的なのである。

 もうひとつ感心するのは、「踏み込むべきところ」と「怖いところ」をちゃんと示していることだ。高校生にはどこで踏み込んでどこで控えるかが、わからない。そういう社会感覚的なアフォーダンスを扶(たす)けてあげているのだ。大学で取り組むべきことも、社会で仕事をするときの心得も、存分に助言されている。この親心は、実は佐藤さんの隠れた魅力だろう。

 当然、オトナたちも読むべきである。私はどこかでオトナたちに苦言を呈することに倦きてしまったところがあるのだが、佐藤さんのリテラシーやオラリティとなら筏(いかだ)を組んで同舟できそうだ。思想議論としても、民主主義、反知性主義、ポピュリズム、ボナパルティズム、帝国主義、ファシズム、リバタリアニズム、統計主義などの、歴史的で未来的な捉え方が、大いに参考になる。マイケル・サンデルなどではまにあわない。

新潮社 波
2019年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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