『一分』刊行にあたって――『一分』著者新刊エッセイ 坂岡真
[レビュアー] 坂岡真
組織や社会からドロップアウトした侍を主人公にしてきた。十一年間勤めた会社がバブルで弾(はじ)けた自らの経験とも重なるし、弾かれて孤独をかこつ若者たちの心情に強く共感もするからだ。
深い喪失を抱いた若者が世の中を斜めに眺めて殻に閉じこもるのではなく、何か新しいものに挑戦して自らの人生を切り拓く。それはありがちなテーマにちがいないが、今までもこの先も色褪(いろあ)せることのないテーマのひとつなのだとおもう。
白い帆を張って大海を疾走する帆船のイメージは、それこそ、未知の世界に漕ぎだす若者の冒険譚にふさわしいもので、先人が繰りかえし綴(つづ)ってきた光景でもあろうが、使い古されたイメージをどんと中心に据えて物語を構築するのは存外に容易(たやす)いことではなかった。
風雲急を告げる幕末に近い頃、丹波(たんば)の小藩から脱藩せざるを得なかった若侍がのっぴきならない苦境を打破していく。それが大筋だ。主人公は侍の子に生まれた矜持(きようじ)を持ちながらも、侍身分を捨てても人としてしっかり生きねばならぬという信念を持つに到る。筋の通った生き方を志す若者の心意気を「一分」という二文字に託した。
世の荒波をひとつ乗りこえるごとに、精神の強靱(きようじん)さは培(つちか)われる。強固な権力に抗(あらが)うことも、抗って組織の論理に押しつぶされることも、すべては若者の特権にほかならない。世の中の流れに身をまかせるのは簡単だが、そうすることで失うものは大きい。ことさら、若者ならばこうすべきだと大見得を切るのも滑稽(こっけい)だが、もし、何事かを成し遂げたいと望むのであれば、尖った生き方を貫き、反骨精神を大いに磨いてほしいとおもう。そんな希望も込めつつ、この本を書きました。ご一読を。